Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

全ては自分の中で起こっていて、何も起こっていない。

はじめに

どうもー!
タクさんでございます。

みなさんご機嫌いかがでしょうか?
「全ては自分の中で起こっている。でも、実は何も起きていない。」
この話なんですが、やっぱりちょっとどういうこと?って混乱しちゃいますよね?

なぜ混乱するのか?というとやっぱりこれって言葉で表現されているからだと思うんです。
言葉って何かを定義する道具ですからねー。なので、どういうこと?ってなっちゃったり、ちょっと難しく感じるかもしれないんですが、実はいうほど難しいはなしではありませんでして、これって単なる見落とし見逃しているだけなんですよ。

というわけで、今日はそのあたりについて書いていきたいと思います。

・目の前の世界はどこで起こってる?

例えば、今この文章を読んでいただいているあなたは、この文章がどこで見えてるって感じますか?

そりゃー画面の中でしょ!
目の前にあるじゃん!
いや頭の中でしょ!

と色々と思ったりするかと思うんですが、

でも、よーく観察してみると、実はこの文章を読んでる「体験」そのものが、あなたの意識の中でしか起こってないですよね?

よくある映画のスクリーンに例えてみますと、スクリーンの中でキャラクターが動いて感情が揺さぶられてまるでそこにいるように感じる。でも、それって実際にはスクリーンの上で光が動いてるだけですよねぇ。

同様に目の前で起こっているぼくらが「現実」としているものも、意識の中のスクリーン上で展開されているにすぎないわけです。

・でも、本当は何も起きていない?どゆこと??

そして「全ては自分の中で起こっている」けど、同時に「実は何も起きていない」んです。

これってどういうことかと言いますと、目の前の出来事は確かに起こっているように見えるけど、それは単なるスクリーン上の映像みたいなものなんですよねー。夢の中の出来事がリアルに感じるのと同じように、現実もただそう見えているだけなんです。

ただ普段はこの単純なことを見落としているだけなんです。
「あれが起きた」「これをしなきゃ」と考えてしまうけど、それはただの思考の中の動きにすぎませんもんね。

・じゃあ、自分は何をしている?

「え?でも私は考えたり、決めたり、行動したりしてるがな!」って思うかもしれません。
でも、その思考すらもただ起こっているだけなんです。

何かを選ぶ時、「自分が決めた」と思うけれどもべつにその選択が浮かぶ前に「よし、そろそろ考えよう!」ってやってるわけじゃないんですよねー。
勝手に選択が浮かんで、手が動いて、決定がなされる。
そして後付けで「わしがやった!」という思いがね。これも勝手に浮かんできているわけなんです。

歩いている時だって「右足だして、次は左!」っていちいちやってないじゃないですか。
勝手に歩いてるんです。

そもそもなにかを「する」とか「しない」っていうのも思考の中の概念にすぎないんですよね。

・じゃあ、どうすればいいの?

じゃあどうすればいいのよー!って思うかもしれませんが、別に何かを変えたり何かをしたりする必要はありません。
ただ見てあげたらいいだけなんです。

自分は何かをコントロールしていないってことが徐々に当たり前すぎることとして見えてくると思います。

あとは普通に何かをしたくなったらすればいいし、しなくてもOKなわけです。
「わしがやった!」という思考が出てきてもそれでいいですし、すべては流れのままなんです。

 

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