Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「心は汚れる?」いやいやそれって思い込みかもよ?

はじめに

どもー!
みなさんの心、どんな感じでしょうか?
純白でキレイですか?それとも子供の頃に比べたら心は汚れてしまったでしょうか?

まあそんな「心が汚れてる」っていう言葉ってたまに使われたりするじゃないですか。
「あの人、心がとてもきれい」とか「自分の心が汚れてる気がする」みたいな感じでねー。
でね、心が汚れるとかってホントにあるの?ってなことを今日は書いてみたいと思います。  

・そもそも心って汚れるの?  

たとえば、何か後ろめたいことをしたときや、ネガティブな感情が湧いたときには「自分の心が汚れてる気がする」って思うことってありますよねー。
 「あんなこと言わなきゃよかった」
「なんか自分、性格悪いかも」
「もっと優しくしてあげられたら」ってな感じでね。
自己嫌悪に陥ることってあるじゃないですか。にんげんだもの。  

でもそれって別に「心が汚れてる」んじゃないですよねぇ。
汚れていると単に「思い込んでる」だけなんですよね。
たとえば、空に浮かぶ雲があったとしても別に空が汚れてるわけじゃありません。
曇り空であったとしても、それは単なる曇り空に過ぎないわけです。
そもそも、心って汚れないんですよね。

・「汚れた心」って何なのか?  

「心が汚れてる」と感じるのは、たいていの場合は、 
「ネガティブな感情を持った時」や
「自分を責めている時」
はたまた「人と比べたりして落ち込んだりしている時」だったりします。

そんな時に、こんな感情を持つ自分はダメだー!
って思ったり、
自分は未熟だー!って思ったり、
あの人はあんなに優しいのに自分ときたら、、、。
って思い込んだりしているわけですよね。

でもそれって単に空に雲が浮かんでいるだけのことで、空に雲が汚れとしてこびりついているわけでもないんです。

・「心の洗濯」  

「心の洗濯」をしてキレイな心を取り戻そう!みたいな話もね。
これはどういうことなのかといいますと、心の汚れを落とすんじゃなくて、「そもそも汚れてなかった」と気づくことだと思うんです。

たとえば、白い布に泥がついたとしても、布そのものが変化したわけじゃなくて、ただ表面に泥がついてるだけなんです。
洗えば、元の白い布に戻る。
心にしたって「汚れた」と感じても、それは心そのものが変わったわけじゃなくて、一時的な思考や感情が表面にくっついてるだけなんです。

そもそも心は汚れません。  

心は最初からキレイだったし今もキレイなんです。 

・汚れのない心に気づいてあげよう 

心が汚れているというのは単なる思考の錯覚です。
僕らは感情に良い悪いをつけちゃって、悪い感情に伴う思いをみるとき、
「こんなこと思っちゃダメ!」って無理に消そうしたりするんですが、
いろんな感情が起こったとて、それでいいんです。
「今、イライラしてるな」「ちょっと嫉妬してるな」ってただ認めさせてあげたらいいんです。

で、どうしてもあれこれと考えちゃう場合は、ちょっと散歩したり空をぼーっと眺めたりしてみるといいかもしれませんね。
僕はよく散歩をしています。
すると、元々クリアだった心に気づくかもしれません。

心はそもそも汚れませんからねー。「汚れてる」という思い込みでなんとなくそう感じてしまうことがあるというわけです。

「そもそも汚れてなかったんだ」って気づくこと。
これこそが本当の「心の洗濯」なのかもしれませんね。

 

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