Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕は僕に近づくことはできない。

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ふーい。
おはようございやす。
新しいゲームにハマってて、
時間がないと騒いでいるタクさんです。

みなさん。
どんなゲームライフをお過ごしでしょうか??

まあでもあれですよね。
人生だってゲームみたいなものですよねー。

ゲームだと、ガンガン死にますし、
あれっ?って感じで崖から落ちたりもします。

ドーンと落ちて、体力がぐーんと減ったりして、
あちゃー。

くらいな感じで済むわけですが、
人生のゲームは、わりとマジで痛かったりするので、
多少は慎重になってしまったりもするもんですけどねん。

 

さてさて、
とは言っても、人生はゲームみたいなもん。
っていう気楽さは、僕らの毎日も軽くしてくれます

気楽だからといって、真剣じゃないということはありません。

真剣じゃないことに嫌悪感を感じたり、
大丈夫か??と心配になったりするかもしれませんが、
ちゃんと気楽でありながら真剣に生きることはできるんです。

気楽さが極まってくると、ナマのイノチがむき出しになってきますので、
もう純粋な真剣さが残ってくれます。

そんなときは、真剣さってリキまなくてもよかったんじゃーん。
って気づきます。

べつにひたいにシワを寄せて神妙な顔をして、
深刻さを感じるだけが真剣なのではないんですよねー。
それだと、物事を深刻さというベールで覆ってることになりますので、
純度が低いってことにもなりますので。。。

100%フレッシュジュースは、何も付け加えないからこそ、
純粋なソレそのものなわけです。

僕らも同様で、何も付け加えなければ、すでに純粋なソレです。

そして、ソレに近づくことなんていうのはナンセンスなんです。

なぜなら、僕は僕に近づけないからなんですよねん。

「どうすれば、私は私に近づけるんでしょうか??」
と聞かれたとしたら、

「いや、もうすでにそれそのものですやん!」

ってことになります。

近づこうと、どこかに向かう行為の全てが、
的外れだということになってしまうんです。

だとしたら、自分は何を掴み、何を通して世界を見ているのか?
この掴んでいるもの、通しているものが、
私自身の純度を濁らせているのではないだろうか???

ってなことをねー。
見てあげたらいいと思うんです。

あー、こんなフィルターを通していたのね!
気づくごとに、体がふっと緩んできます。

緩みを繰り返していますと、
あれ??もしかして掴んでいると勘違いしていたことって、
体をリキませて、何でもないものを何かであるかのように演出していただけ??

ってなことにも気づいてくるかもしれません。

そして、何にも掴んでなかったことの発見が、何も掴まなくても良かったんだーという
安堵をもたらしてくれるんです。

 

※タクさんセッションうけつけちゅー!
よかったらお会いして思う存分お話ししましょー。 

takuteto.hatenablog.com