おはようございます。
仕事関係の飲み会なんかでは、二次会行こうぜ〜!
という言葉が出てくる前に、そそくさと帰っちゃうタクさんです。
みなさまはどんな飲みニケーションライフをお過ごしでしょうか?
日本人の労働時間は長い。長時間労働だ。
なんて言われていたりしますが、
こないだとこかで聞きかじった話なんですけど、
とある統計では、欧米のエグゼクティグティブ層と比べると、
日本人の労働時間は少ないんだそうです。
ただし、余暇の時間は欧米のエグゼクティブ層のほうが多いんだそうです。
???
これ、不思議ですよね〜。
その原因の一つが「つきあい」だ。
なんてことを聞いたことがあります。
ま、残業も付き合い残業なるものがあるそうで、
どうしても、日本には和を尊ぶという思想が、時に悪影響を与えたりしてるのかもしれませんねー。
ま、この辺は詳しくはわからないので、話半分に聞き流してもらいたいのですが
でも、やはり、
人に嫌われないしようとすればするほど、
どこか、無理がたたっちゃう。なんて事ありますよねー。
嫌われる勇気!
なんて本も流行しましたが、
わざわざ嫌われる必要はないですが、嫌われてもええやん!っていうことをじぶんに許してあげるのはいいと思います。
そもそも、どんな人でも、嫌う人はいますからね。
ブッダもキリストも一部の人にはものすごく嫌われてましたし。
5人に1人は、理由がなくても自分を嫌う人がいるらしいです。
どうしても合わない人っているんですよね。
そして、それでオッケーなんです。
また、和を乱さないため、とか丸く収めるため。
っていうのも、時にはいいんですが、そっちばっかりを優先しちゃうと、我慢が増えちゃったりしてね。
そして、我慢が増えれば増えるほど、自分の中のおもろいセンサー。
ワクワクセンサーがさび付いてくるんじゃなかろうか?
なんかそんなふうに思ったりもします。
自分で自分を鞭打つ。
それって、自分を傷つける行為だったりするので、
しんどいですよね。
でも、人はときにそういうことをしちゃいます。
なぜそうしちゃうのか?
というと、ある意味ではそっちの方が楽だったりするからなんです。
ただ、本当は楽だと思ってるだけで、全然楽じゃないんですけどね。
なので、あとあと効いてくるので、要注意だったりするわけなんですが、
今、波風立てるのは、ちょっとめんどくさいから、我慢しておけばいいかー。
みたいにね。
ちょっとした我慢も積み重ねていくうちに、我慢するのが正しい。
苦労は買ってでもしなければならない。
みたいなね。
そんな思考をいつしか掴み取っちゃったりもするんですよね。
我慢や苦労ってもんはねぇ。
自分がオモロイ!と思うこと。
自分がやりたい!ってことをするときに使うもんですのでね。
むやみに、我慢も苦労もするもんじゃないんですよ。
買うなんてもってのほかです。
また、妙に人に嫌われないようにしようなんてしてたらね。
ホントはこんなことやりたい。
なーんて思ってたとしてもね。
それをやろうとすると、もしかしたら他の人に迷惑かけちゃうかな??
とか思ったりしてね。
嫌われないための努力をしちゃったりするんです。
でもね。
みんなに好かれよう。嫌われないようにしようとしちゃうと、
自分はどんどん不幸せになっちゃいます。
そんなことより、自分の幸せを優先しちゃいましょうね。
そのためには、今、何にワクワクしているんだろう?
何が面白そうなんだろう?
何を欲しているんだろう?
どんな鼻歌が今の自分にマッチしているんだろう?
っていうことをね、真摯に確かめてみることです。
安易に我慢を重ねちゃうと、この感覚が麻痺してきます。
もし、感覚がすでに麻痺し始めているという自覚がある方は、より注意深く、真摯に確かめる必要があります。
習慣で、食べるものを決めちゃうのではなく、
しっかりと感じるんです。
そしてときめくものを選ぶんです。
スーパーの卵でも、そうです。
あっちの卵よりも、こっちの卵の方がワクワクする!という方を選んでいくんです。
お茶を買うにも、パッケージのデザインがこっちの方がいいわぁ!
って思う方を選ぶんです。
味も、こっちのちょっとだけテンション上がるかな?っていう方を選ぶんです。
人によっては、感情の解放が必要な人もいるかもしれません。
僕らが子供の頃は、親は生殺与奪のパワーを持っていました。
親に見放されると、即死につながる。
子供はそういう状態に置かれちゃってたりするので、
どうしても親の顔色を伺ったりしちゃうものです。
そうして、我慢を身につけてしまった人もいるかもしれません。
そういう場合は、自分の中の感覚と向き合い、
「本当に今まで頑張ったよねー。」
「もう、自分のワクワクを選んでいいんだよー。」
っていうことをね。
ちゃんと言ってあげて、愛でてあげなきゃなりません。
そうしてあげることによって、身につけた感覚は、すっと荷物を下ろすかのように、解放されていきます。
すると徐々に、ワクワクの芽が復活してくると思います。
マッチする鼻歌も浮かびやすくなります。
僕らは、どんな考えにも束縛されていませんし、束縛される必要性もありません。
もちろん考えや思考は出てきますが、そこに束縛の力の無さを見抜くんです。
そして、遠慮なく、ワクワクの芽の表現を表現させてあげるんです。
それが、イノチのダンスなんです。
さ!エッサホイサと踊りましょ!
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