Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

今にある静かな熱狂

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はい。
おはようございます。
タクさんです。

いやー、それにしてもダイニングテーブルの上って、
散らかってしまいますよね。
調味料とか、ペンとかいろんなものが散らかってしまいます。
ひどい時は、テーブルの表面が見えなくなったりしますからねぇ。
あそこをいつも綺麗にしている人って尊敬します。

 

心のキャパオーバー

僕らが普段没頭している頭の中のおしゃべり。
これらの考え事も、増えてくるとまるで心の中も散らかったダイニングテーブルのようになってしまいます。
ダイニングテーブルの整理を怠っていると、途端に散らかり物を置く場所も無くなるのと同じように、心の中の考え事も、綺麗に片付けておかないと考え事の置き場がなくなってしまい、キャパオーバーになっちゃうんです。
このキャパオーバーって結構怖くて、ひどい場合は記憶障害になったりします。
悩みすぎてストレス過多で、ポーンッ!と飛んでしまうなんてのもそうですねー。
体を酷使しすぎると、倒れてしまうのと同じで、心を酷使しすぎると、
心も強制的に休養を取ろうとしちゃうんですよね。また心の疲労は体にも確実に影響を与えます。心と体は同じなんです。

考え事というのは、過去と未来に存在する

頭の中で紡がれるストーリー。
これらは、全て過去か未来に存在しています。
過去や未来というのは文字通り今に存在しません。
今に存在しないということは、実在していないということですよね。

なぜなら、今以外は存在していないからです。
つまり過去や未来は幽霊のようなもので、イメージの中にしか存在していないんですよね。
ないものを怖がるのは、お化けを怖がるのと似てますね。
そして、怖がっている間は確実に存在していると信じているんです。
だから、ストーリーは深刻化するわけです

我慢は考え事の中にだけある

ま、そんなわけで、深刻化されたストーリーは僕らにストーリーの枠に嵌まり込むことを強いてくるんですよねー。
深刻化されるストーリーは、「良い・悪い」の分離によって構成されています。
この分離は僕らに我慢をも強いてきます。
僕らは、自分の中で作られた考え事、思い込みにより縛られ、そして裁かれ、
さらには我慢も強いられちゃうわけです。
こんな考え事が多くなると、そりゃー倒れるレベルのダメージを受けちゃうのもうなづけますよね。

今だけに集中する。今だけをみる

起こっているのは、「今」だけです。
「今」以外のことを取り組むのは、今を無視することになっちゃいます。
今を無視するとついつい僕らは深刻なイメージに引き込まれちゃうんです。
幸せも静寂もリラックスも「今」にあります。
僕らは「今」から逃れたことはありませんが、
今にありながら今を忘れ「深刻な今以外」の幻想に浸ってしまうわけなんです。

今を受け入れることは自分を許すこと。

今以外のことは置いておくこと。
そうすることで「今」は勝手に蘇って来ます。
今以外のことを置いておくということは、「今」を受け入れるということでもあります。
僕らはストーリー上で作られた「フィクションの今」を突きつけられて、
そんな今から目を背けたくなっていることもよくあるんです。
「今」が悲惨だから、「今」にあることができない。
ということですね。
その「今」の悲惨とは、自分自身が悲惨だということです。
「今」を受け入れるには、そんな自分を悲惨さ込みで許してあげるしかないんです。
それを許すことで「今」は受け入れられます。

今にある静かな熱狂に身をまかせる

「今」こそ静寂であり、「今」こそワクワクした熱狂なんです。
だから、「今」だけを楽しんでいればいいんですよね。
楽しんでこそ「今」はちゃんと機能するんです。
「今」に集中すると、今に熱狂できます。
それは静かなそしてワクワクした熱狂です。
今にある時、僕らはそんなワクワクやノリノリに乗っかれるんです。

 

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