Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

そのまんまで、、、、大丈夫かなぁ?

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あなたはそのまんまで大丈夫なんですよー。
あなたはすでに「それそのもの」なんですー。
だから、何も引かなくていいし、何も足さなくていいんですー。

ゆーてねー。

そう言われたとしても、
うん。それはよく聞くし、もうわかった!
だから、そのまんまで大丈夫な境地をちゃんと知りたいんです。

って思っちゃったりしません?

偉い先生のお話を聞いて、
その時はとーっても安心感に包まれて、
静寂を感じられて。

ああ、ホントそうなんだー!
ってなったりしてね。

そしてまた、日常に戻って、
観念の中で繰り広げられるルールに引っ張られて、
いつしかまた、観念と恐怖に染まってしまったりしてね。

 

あ、あかん。
静寂エキスが足りなくなってきた。
また、先生のところ行って静寂に浸らなきゃっ!

でも面倒臭いなぁ、自分でちゃんと静寂エキスを湧き出させるようになれないもんかなぁ?
瞑想やったらええのかなぁ?伝授とか受けたらいいのか?
そんなもんじゃなくて、やっぱり人生かけてお坊さんのように修行を積まなきゃいけないのかしらん。

それは流石にメンドイなぁ。。。。

ってねー。思ったりもするわけですよね。

何を隠そう、以前の僕も
わしを消して、静寂エキスの中に埋没して、
常に静寂の中に生きる自分になるんじゃー!!!
って色々やってたことがありますからねー。

わかります。

でもねー。
それだと、全然そのまんまで大丈夫ですよー。じゃないですよねぇ。
それって「そのまんま」やと、やっぱりダメやわ。
って思ってるわけなんですよね。

だから、「そのまんま」を否定して探求しておるわけですね。

探求の終わりを探し求めてるんです。

そりゃ、矛盾してますよねー。
探求してるうちは終わらないのに、その終わりを探求するなんてねぇ。

まあ、スピリチュアルの先生とか、
いろんな先生も、探求が好きで、生徒さんを巻き込んで
探求しまくってる!みたいな先生も結構多いですからねー。
それはそれで、楽しくやってればそれで良いわけですけど、
いい加減うんざりしてる人もおられるかも知れません。

これは別にその先生が悪いってわけじゃないんですけどね。

英語で遊ぼう!って先生は英語で遊びますし、
探求して遊ぼう!って先生はそうやって探求で遊んでるわけですから。

修行で遊んでも、静寂ごっこを楽しむのも、大いにアリなわけです。

仕事に精を出すのも、探求に精を出すのも、
ギターを楽しむのも、ぜーんぶ醍醐味ですからね。
それで良いわけです。
楽しんだら良いんです。

でね。
楽しめないのなら、やめたら良いんです。
楽しみは誰かが持ってきてくれるわけじゃなく、自分の中から湧き出てくるもんですからね。
自分の中に聞いてみたら良いんです。

まあ、楽しみの話は置いといて、

「そのまんま」についてですが、「そのまんま」っていうのは「ありのまま」です。

ありのままっていうのは、

物質世界を遠ざけて、スピリチュアルな精神世界に浸るというわけでもなく、
精神世界を遠ざけて、物質世界を頑張るということでもありません。

実際は、物質の世界も、精神の世界もないわけですが、どちらかを取り入れるから概念上で二分されておるだけなんですね。

コインはコインやのに、表がこれで裏がこれ!ってなっちゃって、なぜか表面だけを手に入れて、裏面を排除しようとするってのに似てるのかもしれません。

でも、んなこと出来ませんのでねー。無理ゲーなわけです。
このコインの表側だけ欲しいんですー。
ゆーても無理ですからねー。

静寂は喧騒があるから成り立つわけで、喧騒も静寂があって成り立つわけです。
両者は同じもんなんですよね。

同じもんやというひらめきは、片面だけを頑張って見ようとしても見えません。
コインの表面を詳細にみて覚得ようとすると、余計に裏面が見えなくなりますからねん。

なので、まずは、表面だけを認めて裏面はアカン!と思ってることを見てあげると良いんです。そこで初めて、その判断があったことに気づきますからね。
で、なんで「表面だけを認めて裏面はアカン!」やろう?ってその判断を見てあげたら良いと思うんです。
ただし、そのなんでやねん!っていう部分を正そうとするわけじゃなく、
単に気づいてみるんですね。

でね。
そういった何かを良しとする判断っていうのは、自身をよりよくしようとする思いから来ておるもんですのでね。
次は、そうやってよりよくしようとしてくれてる動きちゃんに対して、その動きを封じ込めようと頑張るんやなくて、
単に、
「ありがとねー」ってお礼を言って労ってあげるんです。

すると、その動きは感謝してくれたから、もう抵抗はしなくても良いんだね!
ってなことで、弱まっていくんですね。
それが許しなんです。

そして、その動きが消えると「ありのまま」が残るんです。
そのまんまは動きがあろうがなかろうが、そこにあったわけですが、
今まで色あせていたその「ありのまま」が、まるで光を取り戻したかのように、
色づき始めてくれるんです。

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