Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思いを通して観た世界は飽きるけど、実際は奇跡に満ちている

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【はじめに】

ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ぬおー!思考に巻き込まれるぅー。
嫌な感情が襲ってくるー。

なーんてことって、生きてると結構あると思うんですけどねー。

これって、ホントでしょうか?

本当に巻き込んでくるんでしょうか?
本当に襲ってくるんでしょうか?

ってねー。
よくよく落ち着いて考えてみると、
思考や感情って、別に殴りかかってもこないし、襲ってもこないんですよね。
ましてや巻き込もうとなんてしてきません。

電車の向かいに座っているおじさんが、何やら仕事のことで悩んでいるとしても、
実際には、ただ座っているだけですもんね。

はたからみたら、何にも巻き込まれていませんし、誰にも襲われていませんもんね。

つまり、感じているのは幻想そのものなんです。
これが思考の幻想の正体なんですよね。

ですが、僕らはこの世界を、思考や感情を通して見ているわけです。
だから、この思考や感情の演出にものすごーくハマっちゃいがちなんですねー。

 

【本来、なにも悩む必要なんてない】

みなさんは映画ってお好きですか?
僕はまあまあ好きなんですけど、この映画のストーリーが面白くなかったとしても、それって、あなたのせいではありませんよね。

しまったー!あの映画は、全然面白くなかったー!
なんでワタシがみる映画は面白くないのか!
どうすれば、ワタシがみる映画は面白くなるのか??

ってね。
そんなふうに悩んだりもしませんよね。

ですが、思考や感情については悩んだりします。

なぜ、そんなことで悩むのかというと、
思考や感情は、自分で作っているんだ!って思い込んでいるからなのかもしれませんね。

ただ、ここで大きな矛盾が生じるんです。

もし、自分が作っているのであれば、思考や感情での悩みってないはずなんです。
なぜなら、そんな思考や感情を起こさなきゃいいだけですからね。

でもそれができなくて悩んでるんだよー!
って思うかもしれません。

これ、できないのであれば、自分がコントロールしているものではない。
ということになりますよね。

だったら、やっぱり悩む必要ってないんですよ。

自分が作ってもいないし、コントロールもしていないのであれば、
「知らんがな!」
でいいはずなんです。

【思いを通してみた世界は飽きる】

つまり、どちらに転んでも悩まなくてもいいのに悩みは絶えない。
ということはねー。

やっぱり、思いを思い通りにしたい。ということなんですよね。
その奥には、思いや感情は自分がコントロールしているし、
うまくコントロールすべきである!
という強い信仰に似た思いがあったりするわけです。

だから、思い通りにならないことに悩んじゃったりするわけなんですよねー。

僕らはね。
世界を思いを通してみております。
ま、元々はそうじゃなかったんですが、いつしかそうやってみるようになったんです。

そして、思いを通さずにみるということを忘れちゃったんですよね。

だから、今日も同じ毎日。といったような錯覚も生じるんです。
それで飽きちゃったりするわけですが、これは毎日の生活に飽きてるのではなくて、
世界を見る時に使っている「思い」に飽きているんです。

【全ては奇跡に満ちている】

思いを通さずにただ世界を感じてみると、全ては常に新しいということに驚くかもしれません。
そして、思いは一切この世界に干渉していないんですよね。

そして、思いが干渉しない世界は、もう奇跡としかいいようが無いんです。
なぜなら、奇跡とは、思いの及ばないものに対して使う表現だからなんです。

全ては常に新しく、そして奇跡に満ちているんです。

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