Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

やさしいキモチ

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 【はじめに】

ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

お気に入りの歌詞は、
情熱の薔薇の
「花瓶に水をあげましょう。心のずっと奥の方」
です。

まー、心が枯れちゃうとねー。
何かとしんどいですもんね。

苦痛や苦悩ってね。
誤解があるかもしれませんが、
ホントーは、問題じゃないんです。

それらは、あっていいものなんです。

ま、思考で捉えるとそれは問題だ!ってなっちゃうんですけどね。
それは、あくまでも思考が捉えたらそうだ!ということですからねー。

「へぇー。思考さんはそう捉えるんだね」
くらいで、いいんですけどね。

ただ、思考の中の「ワタシ」と全体としての在るという感覚。

これらが、ごっちゃになっちゃってるので、
「ワタシ」が終わると、全てが終わる!

みたいなねー。
そんな錯覚がともなって、
それが、恐怖感を演出するんですね。

そんな恐怖感にさらされている時っていうのは、
心が緊張しております。

ま、実際に心というものは、無いんですけどね。

僕らは体の感覚や思考や感情が連動して働いています。
これらを総称して、心と呼んでいるというわけです。

 

【心のずっと奥の方を満たしてあげる】

「花瓶に水をあげましょう。心のずっと奥の方」
僕はこの歌詞を、本当の原点のあなた自身を呼び起こしてあげましょうねー。
そのためには、ちゃんと自分を癒してあげましょうねー。
といったような意味として捉えております。
僕らは油断をすると、ついつい思考の枠というものに囚われてしまいます。

思考の枠というのは、
「ちゃんとしなきゃいけない!」
といったような思いですね。

その条件は多岐にわたるわけですが、いつしか、この条件をクリアすることばかりに目がいてしまって、自分の本質の喜びの表現がねー。
ついつい疎かになっちゃったりするわけですね。

思考というのは、常に問題がないかをサーチする、サーチエンジンみたいなものです。
これはこれで、
「ご苦労さんだね!ありがとう!」
ということなんですけどね。

だからといって、思考のアラートに常に満額で応えなきゃいけないということではないんですよね。

それは、心の奥の花瓶から溢れ出したエネルギーがあれば、応えてもいいよ。
ということでしかなくて、
まずは、心の奥の花瓶を満たしてあげること。
こっちの方を優先させてあげた方がいいと思うんです。

【優しさは心の緊張をほどいてくれる】

心の奥にある花瓶に水をあげる。
っていってもねー。
じゃあどうすりゃいいのよ?
自分を癒すというのが、実際にどうすればいいのかわからない。
って、思うかもしれません。

自分癒しは、一歩間違えると、問題解決の方に行ってしまったりしますからねぇ。

自分癒しのキーワードは、「やさしい気持ち」です。

子供の会話なんかでね、ちょっとした優しい言葉や純粋さに触れると、
「しまったぁー!この純情な優しさって、大人になって忘れてたー!」
みたいな気持ちになりません?

まーあの子供がたまに見せてくれる純粋なやさしい気持ち。
これをねー。自分の中に満たしてあげるって感じです。

思考の枠に囚われている時は、なかなかこの「やさしい気持ち」っていうのが湧いてこなかったりするんですけどねー。

逆にいうと、優しい気持ちのまま、問題を抱えることってできないんですよね。
そして、この枠に囚われていない自分こそ、元々の自分なんです。

元々の自分っていうのは、思考の中にある「自分」にすら囚われていない、ただただ自然のあるがままなんです。

するとねー。聞こえてくるあらゆる音も空気の温度もすべてが優しいなぁ〜ってね。
感じられてくると思いますよん♪

 

takuteto.hatenablog.com

 

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