Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

コインは表だけじゃなく、裏だけでもない。

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これだけ散々、非二元のことについて書いていて何なんですけど、、、。
この非二元っていう考え方っていうのもまた一つの観念ですので、邪魔になったりすることがあるんですよね。

例えば、歩いている時、
自分は歩いていると思っているけど、この歩いているという認識が観念ということなのかー。
なーんて納得しちゃって、
そうか!歩いていると思っていることが夢なんだな!

なーんて思ったりしてね。

こういうのもまた、一つの頭の中のストーリーなんです。

歩いているという、ある種どうでもいいことなら特に問題はないんですけど、
ピンチにいる時なんかはね。

なんとかこのピンチな不安感を払拭したい!
って思っちゃいますのでね。

このピンチさは幻想なんだ。
なぜなら、このピンチさも不安も実体のない思考だし、
この思考はイメージだから実体がないものなんだ!

だから幻想なんだー!安心していいんだー!

ってね。
いくら、このピンチを安心なものにしようとしても、
虫歯はほっておいたらどんどん大きくなってくるだろうし、
うまくいかない現実はいつまでたってもうまくいかないままのように見えるし、、、。

あれれー?
おかしいなぁ。
幻想のはずなんだけどなぁ?

って思って、またいろんな人の話を読んだり聞いたりしてねー。
なんとか結論を出そうと試みたりするわけなんですよね。

うーん。
自分にはまだ、私が残ってるからこういう思いに取り憑かれちゃうのかもしれないなぁ。
私を一掃するにはどうすればいいんだろう??

ってねー。
疑問が疑問を呼ぶわけです。
これもぜーんぶ物語なんですけどね。
その根底には物語を生じさせる観念があるわけです。

ピンチをどうにかしようとする。
という物語の奥には、
こんなことは起こるべきじゃない!
という観念があるわけですね。

 

観念をずっと掘っていくと、行き着くのが、
「自分」という観念なんですよねん。

僕らの中にある観念ってね。
何かを掴まないと生じないんですよね。
そして掴んだものから観念と物語が発展するわけです。

そして言葉というものは、何かをイメージとして掴み取るためのツールでもありますので、
結局言葉で表現されたもの全ては観念だったりするんですよねん。

観念のなさ、物語のなさを言葉で表現してみたとしても、
それをまた観念として受け取っちゃうと、
そこからまた、物語が展開しちゃうわけです。

私がいないという言葉もそれを観念にしちゃうと、
私がいないんだから、実はこの世はこのようになっていて、
私という勘違いをした個別の対象がこういう風に動いていて、、、。
この勘違いを解き明かすには、こうするべきで、
瞑想やら修行やらワークやらが色々あって、
これをマスターしていくと、この勘違いから解き明かされていって、
最後には悟りへと通じていて、、、。

とね、どんどん物語を生み出すわけなんです。

こういった物語も、自分という観念、そして自分がいるから自分以外もいるという分離の観念がベースにあるから生じてくるわけです。

だとしたら、自分という観念を一切掴んでいない人がどこかに存在しているのか?
それが覚者と呼ばれる人なのではないか??
みたいなねー。
そういう考えがまた、瞬時に湧き出てくるかもしれません。

思考はね。常に答えを探し求めますし、答えとなるにふさわしい証明問題を常に解こうとしますからねー。

これもまた、思考が生み出す一つの物語です。
そして、この起こってくる思考は自然現象のようなものですので、消えることはありません。
だってそれもまた神の恵みなんですからね。

そこから生み出される物語もまた荘厳な美しい自然現象の一部ですので、それを消し去ろうとすることは、
大空を掃除機で吸い取ろうとするようなことと似ていて、
決してなし得ることができないことなんです。

そして、その抵抗はそのまんまから目を背けているということにもなるんですよねん。

ただ反面、物語だけに目を向けるのも、全ての中の一部にしか注目せずにその他から目をそらすことになるんです。

「私はいない」というのは半分正解で半分は嘘です。
どこが嘘なのかと言いますと、言葉になっているという点で嘘なんですよねん。

「私はいない」という言葉を成り立たせるには、どうしても「私」が必要ですのでね。
また、嘘の世界と正解の世界が分かれて存在しているというわけでもありませんしねー。

私はいるでもいないでもないんですよねん。
同時にいるし、いないということでもある。

全ては、
起こっていて起こっていない。
あるでもないでもないし、あるし、ない。

っていうことなんです。

言葉で聞くとよくわからないですが、
コインで例えるとわかりやすいかもしれません。

コインって表だけがコインなわけでもなく、
裏だけがコインでもないですよねー。

表か裏だけがコインなわけじゃなく、同時にどっちもがコインですもんね。

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