Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

期待を取り去ったとき

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ふぃー。

おはようございます。

タクさんです。

 


劇的な気付き、

そのまんまの素晴らしさの爆発。

 


これらが起こるにはそれを起こそうとしたら起こりませんし、

その時が来ればそうなります~。

 


なんてね。

言われてたりするわけですが、

 


「だから素直に待ってるんですけど、、、」

 


「まだですか??」

 


「まだそういう素晴らしさが起こらないんですけど~?」

 


って思ってる方もおられるかもしれません。

 

 

 


ニョホホ~。

 


まあそういう期待はしちゃいますよね。

 


実際のところ、その期待があるから、その期待をしている分だけ

この今を見逃している。

 


みたいな事になっちゃってるんですけどね。

 


期待があるということは、今はその期待に応えられていない。

っていうね。

そういうのを無意識に作り出しちゃってるって言いますかねー。

 


でもまあ、

その期待が起こるのは当然なんですよねー。

 


なのでそこで、

「そうか!期待が邪魔をしてるのか!」

って自分の期待や希望をどんどん削ぎ落としていけば良いんだな。

 


って言うことじゃないんですよね。

 


それだとそれで、

期待が起こってくるという自然な自分を、「まだまだ足りない自分」として扱ってしまっていることになりますからねぇ。

 


よくここで、

「愛でてあげる。」

「認めてあげる。」

「そこにいることを許してあげる。」

 


ってなことをよく書いてたりするんですけど、

それは、否定せずにいてあげるってことなんです。

 


邪魔だなーっておもわれるものもね。

本来は否定されるもんじゃないんです。

なんていうか、そんな悪いもんじゃないんですよね。

 


「悪いと思わないようにする」というのとは違って、

どうにかしようとしなくても良いってことなんですよねん。

 


どうにかしようとすればするほど、

絡め取られてしまって、

まるで、バタつけばバタつくほど、余計に溺れてしまう。

ってなことになりますのでねー。

 


そんな時はちょっと落ち着いて、

「足りない」って思ってるけど、もしかしたら、そんなこと無いんじゃなかろうか?

足りないのは、

その足りない「もの」じゃなくて、足りないという思いが健気に自分を守ろうとして

起こってくれてるだけなんじゃなかろうか?

ってねー。

そんな可能性を感じてみたら良いと思うんです。

 


それは、ただ目の前の事をなんとか納得して我慢するということじゃなく、

足りないという思いに縛られないまま、

興味が湧くことをせっせとやってみたら良いってことなんです。

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