Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

自分の無力さを受け入れるということ

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おはよーございます。
タクさんです。

「無力さを受け入れると、それそのものが顕になってきます。」

ゆーてねー。言われてたりします。
知らんけど。。。

今日はね、この辺の言葉からくる誤解について書いてみたいと思う次第でございますよ!

自分の無力さを受け入れられた時、
あっちゃー!
わしゃ、今まで何にも手にしたことなんてなかったんやん!

ってなことが明らかになったりするわけです。

まあねー。
無力さを受け入れなさいってね。
宗教系とかでも言われてたりするのかもしれませんけど、
これって、別に自分を卑下するということとは全然違うんですよね。
むしろ逆っていうかね。

なので、先生や師匠や何かしらの教えに帰依するということでもなく、
自分の無力さを受け入れて力ある誰かに仕えるということとは全く違うんです。

そして、自分をないがしろにするということでもありません。
むしろ、逆なんですよねん。

 

これね。
力(チカラ)という概念が生み出す誤解がややこしくしとったんですよねー。

自分の無力さを受け入れるって時にね、
安心して欲しいのは、
無力じゃない人はいませんよー。ってことです。

つまり、何かを持ってる人はおらんのです。

力があるように見えてるのは誤解なんです。人に限らずね。
でもって、この誤解が幻想を生んでいたんですねー。

そして、その誤解が競争という概念を生み出しとったんです。
力という幻想にとらわれ、自分も何かを手に入れなければならないという思いにはまっとったんですねー。

もちろんのことながら悟りにも何の力もありません。

何にも手にしなくても、むしろ何にも手にしていないからこそ、
完全で完璧で、祝福されているんだってことなんです。

手に入れたいという幻想が、祝福されている自分を覆い隠しているんですよねん。

チカラという幻想が自分を過小評価することにつながっていたってわけです。
ホントはね、
もう、単に生きてるだけで神をも超える神聖な存在なわけやったですよ。

つまりね。
無力さを受け入れるっていうのは、自分のそのまんまの素晴らしさを受け入れるということなんです。

そのまんまで素晴らしかった!ということを受け入れるということなんです。

ありもしないチカラという、イメージ上の設定で、自分を過小評価して、限定しないってことですね。

だから、何かを持ってないから自分はまだまだとか、
まだ、思考や感情に引っ張られるから悟ってないとか、

そういう思いが単に、それそのものを覆い隠しとるだけやん。

ってことなんですよね。

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