Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

強固な観念の檻

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おっはようございます!

今日もせっせと猫写真集めと記事の書き溜めに勤しむタクさんです。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

自分を許してあげるんですー。
自分はあかんことないんです。
あかんと思っててもそれでもう完成形でございまして、
あかんという思い込みだけがそこに見せかけのベールのように覆いかぶさっとるだけでしてね。
このベールもそう見なしてるだけやったりするんですよねー。

みたいなことを書いてるわけですけど、これって別に性善説をとってるわけじゃないんですよね。
性善説とか性悪説っていうのは、人間の本性は善であるか悪であるか?
みたいな話なわけですけど、
それは、どっちでも無いんですよね。

外に吹く風は、善なのか?悪なのか?ってゆーてるだけでしてね。

んなもん、あんたのさじ加減ですやん!って話なんです。

ただ、人間っていうのは、一匹狼じゃなくて、群れを作って社会的な生き方をする習性がございますのでね。
そういう意味では、法が必要になってくるわけですね。
中国の法家という考え方は、性悪説をとってるみたいなことを聞いたことがありますが、
悪というよりは、習性のようなもんですね。

風と一緒のようなもんでして、

風はそよそよとなびきますので、善ですやん!っていう意見もありゃ、
台風のように被害をもたらすから悪ですやん!っていう意見もあったりして、
でも、ホントのところはどっちでも無くたんなる習性のようなもんですからね。

 

さて、
実は今日は性善説だとか性悪説だとか、
そんな話を書きたいわけじゃございませんでして、
強固な観念の檻について書いてみようと思ってたことを今思い出しました。

観念の檻ってものすごく強固に感じたりするかもしれません。
だって、どうやったって観念からは逃れられませんし、
あ!ってわかったと思ってもまた観念の檻に知らないうちにはまり込んじゃったりするもんですからねー。

例えば、なんかこう言ったお話会に参加したとするじゃ無いですか。
すると、その時はなんかとってもリラックスした感じになって、
「そっかー。良いのかー。」
って思えたとしてもね。

普段の日常に戻ったらすぐにこの感覚もどっか行っちゃったりしてね。

あー、まだまだ観念の檻が強固なんだねー。
沢山の観念が残ってるからまだまだなんだろうなぁ。
って思っちゃったりして。

なんてこともあるかもしれません。

でもね、、、

実はこの観念の檻って、
ガッバガバなんです。

何がガバガバかと言いますと、
檻を仕切る鉄の棒の仕切りもね。
隙間が空きまくっとるんです。
デブが余裕で通れるほどの隙間です。

なんなら、扉の鍵も空いてますし、
扉自体もダーンって空き放たれておるんです。

それくらいのガッバガバさなんですよねー。
実は。

なので、観念の檻から出るのはホントは簡単なんです。

ただ、、、出るのが怖いだけ。。。
だったりするんですよねー。

今まで観念に頼りっきりでしたのでね。
そこから出てしもて大丈夫なんかいな?

そもそも観念がないと何もできへんのとちゃうんかいな?

みたいなねー。思い込みがあるわけです。

で、やっぱり出られないんですよねん。

観念っていうのは、判断とか思考とか感情とかを、
これはホントウのこと!
と見なすことによって出来るもんなんですけどね。

判断とか感情とかも観念の一部なので、
そういったもんも手放さなきゃならん!
てな誤解もあったりするわけです。

でも、こういうのって単に起こってるだけなんですよね。

それを個人的なものとして信じることによって、観念になるわけです。

単に起こってることに信念をくっつけるわけですね。

そして、そうやって信じてないとウソになるので、
ウソになると、何も始まらないんじゃなかろうか?

っていう誤解があったりするわけなんです。

観念の檻から出てみても、思考とか感情とかは普通に起こります。
でも、それを観念化する必要性が全くなかったんやん!
っていうことが明らかになるわけです。

どうしても観念化しなきゃならんっていう思い込みが、
この檻から出られなくしとっただけかいな!

って感じでね。
拍子抜けするんです。

ガッバガバやん!この檻!
ってねー。
出てみると気づくわけなんですよねー。

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