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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

誰かの言葉はどうでもいい。自分の奥に感じるものを見てあげたらエエねん!

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「よそはよそ!うちはうちやでぇ〜!」

ってねー。
子供の頃、母親によく言われました。

友達の◯◯君は、めっちゃファミコンのカセット買ってもらってるでぇ!

とかね、ファミコンのカセットをねだってる時に、
「よそはよそ!うちはうちやでぇ〜!」
「イヤやったら!◯◯君ところの子になりなさい!」

ゆーてねー。

 

というわけで、おはようございます。
タクさんです。

冒頭の、「よそはよそ!うちはうちやで〜!」
っていう言葉なんですけどね。

ファミコン買ってくれ〜!言うてる子供にも有効ですが、
非二元の話とかでも結構有効やと思うんです。

なんていうかねー。

コメントで溝口さんという有名ナイスティーチャーも
非二元警察?という輩がおる!
なんてことを言ってたってことを耳に挟んだんですけど、

なんていうか、
自分(=ある程度学びが進んでいる!)
といった思い込みがあったりしますとね。

どうしても、こういった話の重箱の隅が気になってきたりするもんなんですよね。

そういえば、三国志という物語に出てくる周瑜というイケメンのおっさんは、
楽隊の演奏で誰かが一音でも外したら、
ピクッとして、ジッと見てくる。
といった話が残ってます。

周瑜さん。
音楽にうるさいおっさんだったんですね〜。

って、全然関係ないですね。
三国志の登場人物で、周瑜は結構好きなんですよ。。。僕。。。

ま、いいか。

でね。
こういった話を気にしても仕方がないのは、まず話になった時点で半分以上はウソやからですね。
僕が書いてる話も半分以上はウソなんです。
ウソっていうと語弊があるけど、半分は偽が混じるんです。
言葉の性質上としてね。

言葉は何かを分離して捉えるっていう道具ですからね。

後は、読む方は自分との一対一の対話のように感じたりしますが、ティーチャーさん達の言葉は色んなパターンの中のいちパターンに向けて言ってたりもしますのでね。

こういう話は、自分の胸の奥がファっときたらそれで良し。
こなかったら、単にスルー。

権威のあるエライあの人の言葉だろうが、酔っぱらいのおっさんの戯言だろうが、
価値は一緒ですのでね。

自分の奥に感じる「ふぁっ!」を見てあげたらええと思うんです。

はたまた、
こういう話をしているティーチャーはいったいどんな状態なんだろう?
みたいな疑問とかもねー。

こういった思いも、結構、的を外してるんですよねー。

そもそも、個人がおらんっていう話ですからね。

そうは言っても、わかったらなんか個人がええ感じになるんでっしゃろ??
みたいな疑問って拭えなかったりするのかもしれません。

でも、誰かが何かしらの特別になるわけじゃないんですよね〜。

それでいて、何かしらの重たい感情?とかが起こってるのなら、
単にそれが起こってるだけですしねー。

実は、嫌な思い自体が重たく感じさせる原因となってるんじゃなくて、
その思いへの抵抗がね、重たくさせとるんです。

抵抗せんかったら楽なもんです。

良いも悪いもなかったんやん!っていうのも、抵抗が抜けたら気付けるんですよねん。

抵抗の最後の砦みたいなもんが、「自分」という分離感やったりするんですけどね。

なので、何かしらの外の枝葉がどうにも気になるなぁ、、、なんて思ったら、

「よそはよそ!うちはうちやでぇー!」
ということで、

おっと、気にしない気にしない。
一休み。ひとやすみ。。。

で良いと思うんです。

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