おはようございます。
「よそはよそ!うちはうちやでー!」
といわれて育ったタクさんです。
「だってみんな持ってるもん!」
「みんなって誰やー!」
ゆーてね。
みなさんもそういわれたりした心当たりがあるんじゃないでしょうか?
そうそう、
そういえば僕、中学生のとき、どうしてもコンポがほしかったんですよね。
CDが5枚セットできる当時の最新式のやつです。
あれで、氷室京介のソロファーストアルバムをガンガンかけたい!!!
エンジェル♪を熱唱したい!
なんなら、もう氷室京介になりたい!!!
と切望しておったのです。
で、コンポを買ってもらう条件として一定以上の成績をクリアすべし!
という条件を母親から与えられたんです。
たしか通信簿の合計で何点以上とか言う条件だったんですよねー。
そん時だけは結構真面目に勉強しました。
ただ、勉強だけではクリアできるかどうかわかりませんのでね。
友達を巻き込んで、先生の通信簿が入っている引き出しをチェックして、
1から5のハンコの場所もチェックして、
当日、もしも点数が足りなければ、修正液で数字を消してハンコを押し直して通信簿を改竄してやろう!っていう準備をしておりました(笑)。
コンポが無けりゃ氷室京介になれないですからねぇ。もう必死です。
ま、結果的にはなんとか条件はクリアできたのでヤバイ不正はしなくて済んだんですけどねー。
ま、というわけで、いつものように冒頭の話とはなんの関係もない話に入っていくわけですが、
「よそはよそ!うちはうちやでぇー!」
っていうのはね。
心と自分の関係でも言えることなんですよね。
つまりね。
心は心。自分は自分やでぇー!
ということです。
僕らは知らず知らずのうちに、心が不安に駆られてたりすると、
この不安をなんとかして沈めなきゃいけない。
ってね。
感じちゃったりするわけです。
大体の悩みの原因って、
心が不安に襲われてる。
心が怒りに満ちている。
心が悲しんでいる。
みたいなね。
そんな場合だったりするんです。
心がワクワクしている。
心が喜んでいる。
心が楽しんでいる。
なーんて場合は、悩みにならないですからねー。
なので、どうにかしてそっちに持っていきたいって望むんですよね。
それって、
「心はいい感じであらねばならない!」
という観念からきているわけなんですけどね。
実は不安や、怒りや悲しみ。
これらが心をむしばんでるわけじゃないんです。
そういう風に見えますけどねー。
違うんですよね。
心のあり方を無理やり変えようと、ギューって型に押し込めようとするから、
そこで不快感を感じているんです。
怒りも悲しみも、そして不安も、その足元には愛らしい健気さがあるんです。
ただ、信念としてそんな感覚があってはならない!ってね。
頭ごなしに信じちゃってるから、抑え込もうとするんですよね。
そうじゃなくて、愛でてあげたらいいんですよー。
そのまんまにして置いてあげてくださいねー。
って僕もよく言ってたりするのは、
その愛らしい健気さを押し込めないであげてね。
あなたの心は何も間違ってないからねー。
っていう意味もあるんです。
しかもね。
やろうと思って抑え込めるものじゃないんですよね。心って。
それは、我を氷室京介に変えたまえ〜!って祈ったら変わるわけじゃないのと同じなんです。
氷室京介には流石にならんやろうって思ってるくせに、何故か心はコントロールできるはず。って思っているところが誤解だったりするんですよねん。
どちらもムリゲー度合いは同じなんです。
原因はそこで生じるコントロールできないところにあったんです。
不安や悲しみは原因じゃなかったんです。
しかもね。
心は自分ではないんです。
天気のようなものなんです。
コントロールすべき責任者は自分じゃないんです。
ありのままに見るっていうのはね。
不安が起こっていることを変えようとせずそのままにして置いてあげること。
そして、その奥にある健気な愛の表現をそのまま表現させてあげること。
そのことを許してあげることなんです。
でも、まだまだクセで、ついつい抑え込もうとしちゃうんですー。
なんとかならないもんだろうか??
ってね。
思うかもしれませんけどね。
妙な話ですが、それもまた心の働きだったりするんですよね。
ついつい変えちゃおうとする自分。
抑え込もうとしちゃう自分。
そんな自分も実は心であり自分じゃないんです。
そこに行為者はいないんです。
だから、そんなおしゃまな心もね。愛でてあげて許してあげちゃったらいいんです。
▼facebookページはこちら。毎日ひとことアップ中!
もしよろしければ、「いいね」をして、フォローをお願いします。
質問などがありましたら、facebookのメッセージからどうぞです〜。