Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

時間という幻想について

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人だけが、過去や未来と言ったようなことを考えて、不安を覚えたり、
悩んだりしています。

そんなもん、ホントになくて、時間というのは概念に過ぎません。

過去も未来も、今、脳内で作り上げられています。

ほら、
例えば、失恋の最高の処方箋は新しい恋。なんていうじゃないですか。

失恋って、過去をどうしても思い出してしまって苦しんですよね。

なので、新しい恋してしもたら、もう楽しかった過去を思い出さなくてもいいようになるんです。

後悔だってそうです。
今、充分に楽しんでいたのであれば、
そんな過去の出来事に後悔したりしません。

今、何か具合が悪いと思っているから後悔の念が出てくるんです。

未来なんてもんも過去と同じで、
今の状態を過去の記憶に照らし合わせて、
未来を予測してるに過ぎません。

未来のことを考えているつもりで、
実は過去の記憶を参照しているだけなんですよね。

過去なんてもんは、今の気分で脳内に作り出されている
物語のようなもの。

未来も過去を参照しているだけ。

実際のところは、いろいろと考えたところで、
先のことはわからんもんなんです。

脳内の物語にとらわれていると、今を見失います。
記憶に閉じ込められるので、
その物語はとても狭い範囲にとらわれてしまいます。

脳内の物語は記憶の範囲を超えて展開されることがないからです。

この窮屈さが「苦」となってくるんですね。

そうはいっても、どうしても考えておかなきゃならないこともあるじゃんか!
今月の家賃を振り込んでおかなきゃならないし、
夕食の用意もしなきゃならないし、

ってね。
そういうふうに思うかもしれません。

そりゃそうなんですが、
これって、あなたが考えようと思って考えてるわけでもないんですよね。

考えた後に、私が考えた!って思ってるだけで、
考えだけが考えとして起こっとるだけといいますか。

考えというのも、ある種の反応の一種なんで、
普通にちゃんと起こってくるんでもう任せておいたら大丈夫なんですよね。

起こってくる反応を無理くり押さえつけようとすると、
そのエネルギーの流れに対する摩擦みたいなもんが起きて
苦が生じます。

これって、川の流れを手でせき止めようとしたら、
手に水の圧力が、バシャバシャとかかってくるのと
同じようなものなんですけどね。

この圧力が反発のエネルギーみたいに感じて、
どうにも不快な感覚として認識されてたりするわけです。

流れてる川に対して、手で流れを変えたろ!と思っても
無駄なのと同様に、
起こってくることをなんとか抑え込もうとしたところで、
無理ゲーなんですよね。

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