Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

なんもわかってませんよ

f:id:takuteto:20160616142324j:plain

▼ポチッと応援おねがいします!

僕もこういったブログを書いていて、
たまに質問を受けたりして、答えたりしてるんですけどね。

でも、言っておきますと、
僕は何かをわかってるんじゃないんですよね。

わかってないんです。
わからんことを受け入れてる。
わからんでも良いって思ってる。
わからん!万歳!ビバわからん!

ってなってるだけなんですよね。

これって、誰でもできることなんですよ。

何かを理解し腑に落とすのって難しいじゃないですか。
ある程度の知識とか訓練とか必要になってきますしね。

でも、「コレ」についてのことは、
何かをわかったりすることじゃないんで誰でもできるんです。

わからんで良いんですから。
カンタンなんですよね。

よくね、高額な個人セッションとかがあったりするじゃないですか。
僕、そういった商売についてはどうこう言うつもりはないんですけど、
受ける人に対しては、注意点があると思うんですよね。

この注意点って、主催者の先生は立場上なかなか言いにくいことだとは思うので、
僕が代わりに言ってあげるとするとですね。

「絶対に期待をしないでくださいね!」
「払ったお金に見合う価値が得られるということはありませんよ!」

ということです。

だから
受ける人がそういった期待という荷物を
持たないのであれば、ガンガンそういうのにも参加したったら良いと思います。

何かを期待するということは、
何かがわかるかもしれないという期待。
何かが明らかになるかもしれないという期待なんですよね。

この、わからなあかん。
解き明かさなあかん。
その先に何かある。

このね、
一連の分かりたいというやつね。
これが嘘やったんです。

この「わからなあかん」が苦の原因やったんです。

ホントにね、わからんでもいいんです
わからんが正解なんです。

何かがわかったなら、安心すると思うじゃないですか。

けど、逆やったんです
わかる必要もわかる意味もマジでないんやんってことが腑に落ちると
めっちゃホッとするんです。
なにを今までリキんでたんや!ってなるんですね。
わからんで良いんやから、力入れる必要もないんです。

何かを掴んでなきゃ不安に感じていただけなんですけど、
離してみても全然平気やったことに気づくんですよね。

つかむ必要なかったんやん。
って知るんです。

わからんでよくてわからないに落ち着くコツがあるんです。
このコツについて書いて今日はおしまいにしよかと思います。

そのコツはね、
自転車の両手離し運転の練習によく似ています。

両手離して自転車漕ぐのって怖いじゃないですか。
この両手離しを習得するにはですね。

ちょっとだけ、
今の一瞬だけ手を離してみるんです。

で、徐々に手を離す時間を長くしていくわけなんですが、
僕も、子供の頃の全盛期の頃は
もうポケットに手を入れたまま自転車走らせてたりできるようになってました。
今は無理ですけど。

ま、それに似てるんですけど、

一回だけ、
今だけ
あらゆる思い込み、想念。
対処しとかなあかんこと。
考えとかなあかんこと。
こんなの全部を
ほったらかしにしてみるんです。

そのまんまにしておくんです。

一瞬だけ手を離してみるんです。

安心や平安は、
あらゆる想念に対して対処しておくことで得られるわけではなく、
そんなもんほったらかしておくと、
ここに最初からあるんです。

▼よろしければ、1日1回ポチッと応援おねがいします!
他にも面白いブログがいっぱいですよ!

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ