皆さんもそうかもしれませんが、
僕も、いろんなワークとか瞑想とかやってたんですよ。
で、いろんな体験を経験したりもしたんです。
目をつぶっても避けられない光に包まれてみたり、
背骨の方を下からググーンってなんかエネルギーみたいなのが通り過ぎて
ぱっかーんっ!ってなる感じとか、
人だけじゃなくて、ものの周りにもオーラ的なものがふわーって浮いてるのを見たりとか、
心の声みたいなのがドンッって入ってくる感じとか。
こーゆうのって普通にある人にはあると思うんですよね。
で、そういう体験がない人も普通にいると思うんです。
体験がない人からしたら、
そんなアホなー。みたいなことでしょうし、
ある人にはリアルに感じられるものだから、どうにかこの体験の意味を知りたいとか
思っちゃうんですよね。
もちろんこれらの全ての体験も、ま、幻想みたいなものなんですけどね。
まあ、ここで体験は幻想なんだよと言っちゃうと、
いわゆる現実。誰もが知っている現実の方が正しくて、
こういう幻想はなんか気の迷いみたいなのが原因で体験しているものという誤解もありそうですが、
そうじゃなくてね、
誰もが知ってる、
目の前の当たり前の現実。
例えば、これはコップで、信号は赤が止まれで、
みたいな現実。
これらも幻想なんです。
だから、ぜーんぶ幻想だっていうことですね。
その幻想度合いに違いはないんです。
なので、あまり気にしなくていいし、理由を探ろうとすると余計に物語に巻き込まれちゃったりもするので、オススメしないです。
あと、一瞥体験もそうですね。
この体験も人によって感じる感覚はそれぞれなんでしょうけど、
いずれにしても、
「あ!わかった!完全にわかった!私は悟ったんだ!」
てね、感じるんですよね。
これ、もうどーしようもないんです。
だって、そういうものだからね。
でも、この「私は悟った!」という思いはすでに物語の中に戻ってしまっているからこそ起こる感覚なんです。
その体験自体が嘘だとかそういうことじゃないんですけどね。
あらゆるものも、あらゆることも、全部、自分っていう概念によって引き起こされた、
ゆーたら思考なんです。その思考ってリアリティあるけど、全部物語やんっ!ってことなんです。
うーわ!だから色即是空なんや!
だから、全ては愛なんや!
全部しかないんや!
マジやコレ!
てね、なるんですけど、
それを自分が分かった!んだと、自我の中に持ち込んだ時点で、
「はい。私、ついに悟っちゃいました。」
ってなるんですよね。
この時はすでに思考の中に生きてますし、戻ってるんです。
なので、そんな思いはとっとと捨ててしもた方がいいんです。
あまり「ワタシ、悟りましたー」
とか言わない方が良いです。
それも、思考だったことに気づいたときに黒歴史になりますからね。
僕もそんな黒歴史がありますし。
悟りなんてものは無いものなんです。
だからそういった思い込みは捨ててしまった方が良いんです。
だけど、捨てて、今までの社会の現実に戻れ!ということでもありません。
それじゃー、ただ社会という幻想への同一化に戻ることと同じですから元の木阿弥です。
そーいうことじゃなくて、
ただ、「私は悟った」という思考に同一化してるなーって気づくようにすればいいんです。