Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分はまだ、完全に悟っていない?

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おはようございます。タクさんです。

「それ」とは、ただ単にある目の前のこと。

外に聞こえる車の音、
テレビに移っている絵、
机の上にあるコップ、
かすかに香る何かのかおり。

自我さんからすると、
どーでも良い事。
とるに足らないこと。
なんですよね。

だから見過ごされるんです。
だって、どーでもいいから。

そんなことはイイから、今は他のことが問題なんだ!
と考えだします。

その考えとは、大概は目の前のこととは別の、頭の中で作られ続けるストーリーだったりします。

または、この考えを鎮めなければならない!という考えだったり、

この自我をすべての「それ」に溶け込ませていくんだ!という考えだったりします。

目の前のコップ。
このコップという名前という概念(レッテル)を外し、
素材はガラスであるという概念(レッテル)を外し、
形と境界という概念(レッテル)を外し、

ただ、そのまんまの素の状態に戻して観てみると、

コップだったモノは、「それ」そのものにかわります。

そして、変わったのは、コップではなく、自分なんです。

これは見方を変えるという話ではありません。

見方をもって見ていたことにより、「そのまんま」が失われていた。
という事なんです。

あなたの中にはもしかしたら、
「まだ自分は悟っていない」

という思いがあるかもしれません。

その理由も沢山見つかってくるかもしれません。

例えば、
まだ、不安が起こったりするから、
まだ、怒りがあるから、
まだ、苦があるから、

みたいな理由です。

ですが、そういった思いにふけっている今も、
目の前のコップは「そのまんま」在りますし、
「そのまんま」の車の音が聞こえてきているんです。

コップのように見える、車の音のように聞こえる、
意味のない「それ」がそのまんまに表現されているんです。

これは、だまし絵のようなものでもなく、
アハ体験のようなものではありません。
それはただ、見方を変えているにすぎません。

あなたが、
「自分はまだ、悟っていないのではないだろうか?」

と、そう考えているその時だけ、その思いに同化しているんです。

その次の瞬間には、また別の考えに同化しているかもしれません。

それも、その時だけ、そうしているんです。
常に新しく、そうしています。
その新しさを過去の経験に分類して、慣れ親しんだ、飽き飽きした何かに変換されていたとしても、
それも、その瞬間、そういった考えに同化しているだけに過ぎないんです。

自分が存在するという誤解が同化を促しています。そうしないと自分が存在できないからです。
そして、存在するからには、何かの立場をとっていなければいけないからです。

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