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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

今しかなくて、ココしかないってのも納得した時点でただのおとぎ話さ♪ってなお話し

人生オママゴト論

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時間は存在しません。 それはアタマの中で創作された概念です。
てね。 ゆーてね。

こんなことを聞いても、 知識では、はいそーですねー。
てね なったとしても、中々、腹には落ちてこないと思います。

なんでもかんでも概念ゆーてるだけやんけ! てね。
そんなご意見もあるかと思います。

で、今日は時間のことについて書いてみよっかなーっておもいます。

例えば、今日のお昼は何食べよーかいなー? って考えたとしますよね?
そして、そう考えているからこそ、今日のお昼という未来はあるように見えますよね。

明日は、お客さんと約束があるから、今日は早めにて寝ておこういなぁー。 ってのもね。
明日という未来があるように見えます。 はたまた、昨日は飲みすぎたから、ちょっとしんどいわぁー。
って考えたりしてるときは、過去があるように感じます。

でも、それを考えているのは、ただ単に今起こっているということに過ぎません。

これらの考えはぜーんぶ、起こっている事に対する後付けの解釈なんです。

?????

よくわからないですかね?

いやほら、よくスッピリチュアルリーダー(笑)が言うじゃないですか?

過去を考えたり、未来を考えたりしているのは、常に今なんですよ〜!
ね!だから、今しかないんです。

とか、

過去や未来を考えているのは今!
だから、今しかないし、 自分が自分から離れてどこかに行く事は出来ない。 だから、ここしかない。
そう! まさに、イマココしかありません!

てね、

ゆーじゃないですか?

スッピリチュアルリーダーとかが。

「うるさいボケ!」と突っ込みたくなるような事。

まぁ理屈はわからないでも無いですが、 もちょっと、そこを掘り下げたいと思います。

でもね、こんな「今ここしかない論」みたいなもんも、一つの解釈でしかなくて、原因と結果という概念の中にあるものでしかないんです。
つまりオママゴトのルールみたいなもんですね。

なので、ここで納得しちゃうんじゃなくて、
自分で発見してみる事をオススメします。

さて、話を戻して、
時間という概念は後付けで現れる、一つのツールである
という事を書いていこうかと思います。

・自我はなんでもかんでも説明出来ないと気が済まない。

起こる事はただ単に起こっています。
感情や感覚も、思考も感情もただ単におこっているんです。

その様は、風が吹いて草花がゆらめいているという自然現象となんら変わりはありません。

風が吹いて、ただ草花がゆらめいているのであり、草花が自分でクネクネとしているわけじゃありません。

風が吹くのに何かしらの意図や意味があるわけじゃありません。

それらは一連の自然の流れで
草花と風が分離しているというわけじゃない
んですね。
それと同様に、
僕らの身体も何かと分離しているというわけじゃありません。

あるのは全てであり、
全てであるからこそ、つながりなんです。

でもそれじゃあ自我は納得できません。

自我とは分離そのものです。
分離のないものに分離という設定を概念として加えて成り立っています。
もともとは無いものなので
なんとかかんとか、
あらゆる概念でそれらしくしておかなければ崩壊してしまうのが
自我というものです。

例えば昨日は飲みすぎたなー、いやー飲んだ飲んだ!
という思考も、まずは身体の重たい感覚がただ単にあって、 そこに説明付けが起こるわけですね。
この重い感覚の原因はなんなんだ! そして記憶を探り、そーだ!昨日飲みすぎたせいだ!と説明されます。

その記憶の説明に時間という概念ツールが使われる事によって、説明に説得力が増すわけです。

とまあ、そんな感じでベースの概念が作られ、その上にさらに思考が重なり合っていくわけです。

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