
はじめに
はいどうもー!
子供の頃は昭和の時代をまっしぐらに生きていたタクさんです。
ま、昭和の時代の子供はですねぇ。
大人に普通に殴られるんですよね。
おっさんめっちゃ怖いんです。
ま、住んでたところも関西の下町で昼間から酔っ払いのおっさんが徘徊してるような街でしたからね。
その影響もあったのかもしれませんが、まー、おっさんも怖いし、先生もしっかりと殴ってくるって感じだったんです。
ですのでね。
子供としては、このおっさんは甘えたり生意気なことを言ってもおおらかに認めてくれるおっさんなのかどうか?ってのを見極める目が大切だったんですよねー。
調子に乗りすぎてどつかれてる友達もいましたからねー。
ですのでね。
おっさんだけじゃなく、おばさんもなんですが、顔の表情だったり声のトーンから、
「お!この大人は話がわかる大人だぞ!」とか、
「あー、この大人は子供が嫌いなんだろうなぁ。冷たい感じがするわ!」
ってよくみてたんですよねー。
ただこれね。
子供だったらみんなそんな風に大人の人をみてたんじゃないかなー?って思うんですよ。
なんていうか、その人の表情から性格というか、その人の挙動から漏れ伝わってくる性格的な感じを子供の頃ってみてたんじゃないかなー?って感じるんです。
もちろん、その大人がどんなに偉い人なのか?とかそんなのは全然眼中にありませんし、服装や肩書きなんかも全然気にしませんでしたし、顔がイケメンとかそんなのも全然みてませんでしたからねー。
それよりは、遊んでくれそうなのか?遊んで面白いのか?子供の話を聞ける人なのか?
みたいなことを子供って見てるんだろうなーって思います。
・どうでも良い尺度
でね。
そういった人の見方って年を取るに従って忘れていっちゃったりするんですよねー。
学校に行き出すと、人の価値は成績で判断されたり、足の速さで判断されたりして、正直どうでも良いような尺度を持ってしまい、思春期になってくるとオシャレがどうとか、顔の良し悪しが気になったり、ってね。
人をみる際に内面よりは、どうでも良い尺度ばかりに注目しちゃって、その人の中身をみる力が衰えてきて、そんなことよりも、その人の肩書きで見てしまったり、職業で判断しちゃったり、身につけているもので見ちゃったりねー。
そんな感じで、まるでその人本人じゃなく、実在しないハリボテの人となりをみるようになってしまう。
みたいなことになっちゃってるパターンもあるんじゃないかなー?って思うんです。
正直どんな人も最後は裸一貫で死んでいくわけですからねぇ。
その人が身につけてる仮面の形なんて本当はどうでもいいんです。
・隠された本当の自分
でね。
そんな風に外を見る癖がつくにしたがって、同時に自分を見る目もなんか狂っていっちゃってね。
自分の本音の部分で感じている感覚がどうも見えにくくなっていったりするパターンもあると思うんですよ。
自分のことを、肩書きで評価してしまったり、収入がどうだから良いとかダメだとか。
仕事の成績で自分を判断したりとか、好きでもないのに人によく見てもらいたいために車や身につけるものを選んで、身につけているもので自分を評価したりとかねー。
そして、こういうのってぜーんぶ比較という幻想の中ででてくるものの見方だったりするので、結局、自分というものを比較で評価し、それが自分だと錯覚しちゃったりね。
このせいで、本質の自分の感覚や、自身のオモロイ!と感じるものがおおい隠されちゃったりしてたりするんです。
ですのでね。
ちょっと周りの大人たちも、この人は遊んでくれるのか?遊んで面白いのか?
冷たい顔をしているけど実は優しい人なんじゃないのか?
ってな感じでね。
子供の目線で見てみると面白いですし、自分自身に対しても、どうでも良い比較は置いておいて、感じている感覚。思考で翻訳された感覚ではなく、言葉にならないダイレクトな感覚を感じてみると、自分やそれを取り囲む周囲の幻想でできたハリボテがガラガラと崩れ落ちるきっかけになってくれるかもしれませんよー。