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非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

隴を得て蜀を望む ― 尽きない欲と「足りない」の演出

はじめに

どもー!
タクさんです。

「隴を得て蜀を望む」って言葉はご存知でしょうか?
これは、中国史上最高の名君と名高い光武帝が残したとされる言葉です。
意味は「人の欲にはキリがない」というものなんですねー。

光武帝は今から2000年ほど前の人ですが、僕ら人間はずっとこの欲に悩まされ続けているのかもしれませんね。

欲ってのは、手に入れるとすぐに次を連れてきます。
「これさえあれば」と思っていたものを手に入れても、手に入れたものはすぐに色褪せ、
もっと良さそうなものに目移りするという仕組みになっております。
望みはモノだけじゃなく、環境や状態にまで延々と広がっていって際限がないんですよねー。

そうやって積み上げれば積み上げるほど、ハードルは高くなり、せっかく得たとしても今度は失う不安を抱えてしまったりするわけです。

そもそも、理屈で考えれば欲のハードルなんて下げれば下げるほど幸せの機会は増えるわけです。
であるなら、ハードルは下げるに越したことはないはずなんですけどねー。

僕らはなぜか逆にハードルを上げちゃうんです。
そして当然のことながら、ハードルを上げるほどに不幸や不安に出会う可能性が高くなるわけです。

ホント、何やってんの??って感じですよねー。

幸せの正体は「思考が消える瞬間」

そもそも僕らが何かを得たときに幸せを感じるのは、何かを「得たから」じゃなくて、得た瞬間に望みが消えるからです。

望みがきえることで、やっとその望みから解放されるってわけなんですねー。

僕らは欲しい欲しい!という思考が消えることで幸せを感じているのに、思考ちゃんは「欲しいものをゲットしたから幸せなんだ」と勘違いしちゃうんです。
その勘違いのせいで、また次のもの!ってなことで次のハードルを用意してしまうんです。

欲が出てくるときは当然のことながら「足りない」がセットになっています。
だから、望みのハードルが上がるほどに僕らは「足りない」という苦悩にさいなまれることになるんですよねー。

欲を捨てる必要はない

まあ、そんなことを聞いちゃうと僕らは
「そりゃいかん!欲を捨てなきゃ!」
「欲があるのはダメなんだ!」
ってなっちゃったりするんですが、別に欲を捨てなきゃいけないってわけじゃありません。

むしろそれって「欲を捨てた自分」を欲することになっちゃったりします。

そしてそもそも、欲を捨てることなんてできないんです。
なぜなら本質のあなたはそもそも欲を持ってないんですよね。

欲しているのはあなたじゃなくて、思考ちゃんがそういう演出をしているだけなんです。

だから本当のあなた自身は欲を持っていないし、「足りない」もありません。
ただそんな思考の演出を眺めているだけなんです。
ちゃんと至福の中でね。

あなたがそんな本質に戻った時、欲や足りないから解放されていて、そもそも絡み取られたことすらないことに気づくはずですよー。

 

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