- はじめに
- 本当に私は何かが損なわれたのだろうか?
- 私という概念によって定義集めが始まる
- 無秩序に集められた定義ってホントに私なの??
- 僕らはもしかしたら死なないどころか生まれてすらいないのかもしれない
はじめに
ほい!
おはようございます。
タクさんです。
僕らが恐怖を感じることって、
私が損なわれるのではないだろうか?
という思いがきっかけになっていることが多いんですよねー。
そして、この恐怖か、怒りに発展したり、不安に発展したりするわけです。
常に僕らは、この損なわれるという思いにあらがい、
また、損なわれないように自分を強化したいと願うわけです。
でもねー。
実は、私は損なわれるという思いってね。
結構疑わしかったりするんですよね。
というわけで、今日は
本当に私は損なわれるのだろうか?
ということをテーマに書いてみたいと思います。
本当に私は何かが損なわれたのだろうか?
さてさて、
僕らはなにも持たずに生まれてきたわけですよねぇ?
(本当は生まれてすらいないかもしれませんけどね)
そして、当然のことながら、何も持たずに死んでいくわけです。
(もちろんこの死というのはただの定義上の死に過ぎませんけどね)
例えばね。
あなたが誰かにひどく罵倒されたとして、
そのせいであなたはもしかしたら、ひどく私が損なわれた!と感じるかもしれません。
オサレなパーティーに行って、なんかみんながすごく豪華な服を着ていて、自分がみすぼらしく感じた時なんかにも、なにか自分が小さく感じられるようなこともあるかもしれません。
でもね。
それ、本当に損なわれているんでしょうか?
また、
何かによって本当に私というものは小さくなってしまっているのでしょうか?
これねぇ。
とっても疑わしいんですよ。
もちろんね。
自分が足りない!と感じられるようなことが起こった直後なんかはね。
「もちろん!損なわれとるがな!だからこんなに怒ったり、怖がったり、なんか気後れしたりしてるんじゃないかー!」
っていう答えが即座に返ってくるかもしれません。
でもね。
そこで落ち着いて、もう一回聞いてみるのをオススメします。
「本当に私は何かが損なわれたんだろうか?」
「では、私の何が損なわれたんだろう??」
ってね。
私という概念によって定義集めが始まる
そもそも、
何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいく私に、
一体損なわれる何かがあるのだろうか?
って話なんですよねー。
本来、僕らは何も持っていないんです。
そして、それで完璧だったハズなんですよね。
でも、あるとき、僕らは最初に「私」という概念を手に入れるんです。
ですが、実際にその私って無いですからね。
急いで、私の定義を作らなきゃなりません。
あなたは⚪︎⚪︎ちゃんよー!
って初めて呼ばれた時。
実は僕らはちょっとした混乱を覚えたりするんですよね。
え??⚪︎⚪︎(名前)って何??
みたいな感じでね。
僕はものすごく小さい頃に感じたこの混乱を覚えています。
無秩序に集められた定義ってホントに私なの??
なので、僕らはありとあらゆる「私」の定義を集め出すんです。
そして、それを「私」の一部にしてきたんです。
まるで犬が靴を咥えて穴に埋めてコレクションするというのと似てるのかもしれませんね。
そうやって集められた「私」の定義は、多岐にわたります。
それは持ち物かもしれないし、心情かもしれませんし、体験や記憶かもしれません。
はたまた、それは特技かもしれませんし、仕事上の地位かもしれません。
有形のように見えるものもあれば、無形のものもあるわけです。
そのように無秩序に集められた集合体を掴んだ気になって、
それが私であるかのように錯覚しているんですよねー。
でもいざその集められたものを見て、それが「私」なのか?
と問われると、やっぱりそうであるとは思えないわけです。
なので、まだ「私」には足りない何かがどこかにあるように錯覚しちゃうんです。
僕らはもしかしたら死なないどころか生まれてすらいないのかもしれない
また、そうやって集められた「私」の定義たち。
これらが損なわれた時。
僕らは、私が損なわれたと錯覚し、狼狽するんです。
その恐怖は、怒りになったり不安として表現されたりするんですねー。
でも、僕らは心の奥では、それが私ではないことを知っているんです。
なのでね。
「本当に私が損なわれたのか?」と落ち着いて自分に聞いてみると、
「あれれ?何も損なわれてなんかないじゃん!」ということに気づくんです。
その気づきが極まってきますと、
「例え身体が失われたとしても、私は損なわれない。」
「あれれ?体すらそれは私ではないじゃん!」
ということに気づくかもしれません。
そうなりますと、
「えー!だったら私は死なないじゃん!っていうか生まれてすらいないじゃん!」
ってことになってくるんですよねー。
ま、そういうことを聞くと、
それがわからない私はまだ何かが足りないんだってね。
それを探そうとするかもしれませんが、
それを探して手に入れるのではなく、
そのまんまのあなたで、損なわれているものはないんです。
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