Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

全ては借り物、仮のもの

はじめに

はーい。
どもっ!
おはようございます。
タクさんです。

月曜日ですよ〜!どうですかみなさん。
ご機嫌でおられますでしょうか?

ちなみに、僕はねぇ。
月曜日は、ここ数年、とっても好きな曜日なんです。
なぜかと言いますとね。
僕、会社員でありながら、月曜日はもうお休みっていうことにしましてね。
ここ数年は週4日勤務なんですよねー。

やっぱねぇ。数年やってみた感想としては、週4の方がバリバリと働けるなーって感じがします。
多少のスケジュール調整は必要なこともありますが、仕事もあまり遅延してるってこともないんですよね。

ま、そんなやり方で僕は月曜日を味方にしました。
そうなったら、火曜日が嫌な日になるんじゃないのん?って思うかもしれませんが、火曜日になると、良い加減そろそろやんなきゃ!ってなるんですよねー。

ま、そうやって土日月曜日は休みにしておいて、セッションとかやろーっ!って思ってたわけなんですが、なんかあれこれと雑用が入っちゃっておりまして、、、。
最近はできておりませぬ。
それもそろそろ落ち着いてきたので、また近々再開したいと思っております。

さてさて、今日はよく肉体は借り物であるって言われたりするじゃないですか。
これをテーマにちょっと書いてみようかと思います。

 

体は借り物

よくね。
体は借り物ってね。言ったりするじゃないですか。
これってね。
なんかわかるような気もするんじゃないでしょうか?
体って自分であるように見えて、結局のところ、
老いをなんとかすることもできませんし、身長や顔の特徴もねぇ。
自分で作ったというよりは、借りてる気がしないでもないって言うかねー。
腹が減りたくなくても減りますし、寝たくなくても眠くもなりますもんね。

ちょっとそこはわかると思うんですよ。

ま、確かに、体自体も自分でデザインしてませんもんね。

もし、体をデザインできるのなら、指の数をもうちょっと増やしてみたり、
したほうが、ギターももっと上手に弾けるかもしれませんもんねー。

でね。
体には魂が宿っているっていう考え方があるじゃないですか。
体は借り物だけど、この魂こそが僕らの本質だ。みたいなね。

でもこの魂っていうのをねぇ。
なんか、心と混同している節があるんじゃないかなーって思ったりするんですよ。

つまり、僕らの思考や心っていうものがね。僕らの本体であり、それが魂である。
みたいなねー。

全ては借り物、仮のもの

そして、この心の部分をなんとかしようとするあまりに悩んだりもするんですよね。

でね。この悩みの本質の部分というのは実は心や思考が思い通りにならないということじゃなくてですねぇ。
何とか、ただこの心は自分だから、自分がちゃんと管理しコントロールしなければならないし、コントロールできるはずだ。
っていうね。
そういう思い込みが本質の部分にあるんですよね。

でもねー。
心と体って一緒なんですよね。
なので、体が借り物だったなら、心も借り物なんです。
また、思考というものも体の一部の働きですのでねー。
これもまた、借り物なんです。

だから、こいつを管理してコントロールするなんてそもそも無理なんですよね。

ま、ややこしいのは、コントロールができたような気になることがあるから、
ちゃんと管理できるし、コントロールできるんだ!って思い込んじゃうパターンがあったりするんですけどね。

ま、でも、出来ないことは出来ませんからねー。

右手を上げて!というような、極めて限定された範囲ならね。
はーいって上げることくらいならできますが、
腕をもう一本生やしたいって思っても出来ないじゃないですか。

これと一緒なんですよね。

(ま、厳密に言えば、手を上げることすら自分でやってないんですけどね。)

心と体は同じであって、そのどちらも借り物なんです。

ただ、誰から借りたの?って言われると、誰かから借りたわけじゃなく、
そもそもその主体者もいないんですけどねー。

つまり、私というもの自体が、借り物ならぬ、仮のものだということなんです。

 

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