Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【悟り・非二元】どうすれば許せる自分になれるのか?問題

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はーい。
どうも。
おはようございます。
タクさんです。

僕ら人間って、まるで地球の支配者である。
みたいなね。
なんかそんな錯覚があるかもしれませんが、
地球が汚染されて人類が滅びるようなことがあったとしても、
きっと地球にとっては、それは汚染ですらないんじゃないの?
なんて思ったりするんですよねー。

チェルノブイリは、今や自然の宝庫!になっていて、植物がもう思いっきり生い茂っておりますもんね。

空き地なんかみてても、ものの一ヶ月で雑草だらけになっていますもんねぇ。

まさに、地球の生物の代表は人間なんかじゃなく、植物なんだろうなー。
なんてね。
そんな気がしています。

そういえば、人類が増えたのも穀物の生産量が爆発的に上がったのと比例しているらしいです。
人間は穀物の繁栄のための奴隷になっているなんてね。
そんな説すらあったりするんですよね。

さてさて、というわけで今日は、成長ということをテーマに書いてみたいと思います。

 

成長という錯覚

もし成長したと思っていたあらゆることが、単なる変化だとしたら?
なーんて言われちゃいますとねー。もしかしたら、ショックを受けるかもしれませんが、反面、安心するかもしれませんね。

そっかー。今の自分でいいんだ!ってね。
そうなると、成長は、義務ではなく楽しめるものになるかもしれません。

僕らは、生まれてこの方、ずっと成長を強いられてきたし、
成長することが良いことだと刷り込まれてきた面があると思うんです。

だから、何かしらの思い通りにならないことにぶつかったとき、
どのように成長すればいいのか?という考え方しかできなくなってる面もあるのかもしれませんね。

でもね。成長っていうより単に変化しているだけだったりするんですよね。

より良くなったという思いも、そういう条件を当てはめてるだけだったりするんです。

乗り越えようとすること

僕らはついつい、成長すべきという大前提を持っていたりするので、
問題に対面したとき、
どう乗り越えようか?
どのように問題に打ち勝つのか?
ということをまず考えちゃうんです。

もちろんね。それでうまくいくことも多々ありますので、
うまくいったならそれでいいんですが、
それがうまくいかない時は問題になるんですよねー。

そんな時にね。
もしかして、この問題はあっても良いんちゃうの?
ってなこともね。
選択肢に入れておいてあげても良いと思うんですよね。

だって、起こってることですもんね。
つまり許されてるから起こってるとも言えるわけです。

どうすれば許せる自分になれるのか?問題

さて、よく「許し」なんて言葉も耳にすると思いますが、
この許しっていうのもね。
僕らはまず、どうやって許せる自分になるのか?
みたいなね。
そんな考えをしちゃいがちなんですが、
これもまた、乗り越えよう思考の一つなんですよね。
そして、ま、そんな聖人のようにはなれませんので、
これも一つの問題になってしまうんです。
それが、どうすれば許せる自分になれるのか?問題なんですよね。
そんな感じで、なんでもかんでも問題にしてしまうと、
そりゃーしんどくなっちゃうのも当然といえば当然なんですよね。

許しが与えてくれる安心

許しが与えてくれる安心とは、許せる自分になることに対する安心じゃないんです。
そうじゃなくて、
どんな自分でも良いんだー。許されているんだーという安心なんですよね。
つまり、
「特別じゃなくていいという安心」なんです。
悟りだとか、非二元だとか、なんでも良いですが、
そういった境地が安心を与えてくれるわけではありません。

そんな境地に行かなくても、特別にならなくても、
それで良いんだー!という気づきなんです。
そして、それで良いんだー!という許しは、
好きな特別さを生き生きと目指して良い!ってことでもあるんですよね

この辺が、いっけん矛盾しているようにみえちゃうので、ややこしいところでもあるんですけどね。

 

takuteto.hatenablog.com

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