Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

この世界は大丈夫か?という心配ってちょっと可愛くもあるよね。

はじめに

どもー!
おはようございます。
タクさんです。

よくね。
「この世界の行末はこのままで大丈夫だろうか?」
「この地球、そろそろ崩壊しちゃうんじゃない?」

不安を口にしたり話し合ったりすることって、わりとあるじゃないですか。
最近だと環境問題や戦争、AIの進化、などが話題ですよね。
そんな変化を目の当たりにしてると、つい世界全体の行く末が心配になってきたりするものです。
この世界、いやこの地球はこのまんまで大丈夫なんだろうか?
ってねー。

でも、よく考えてみると、
僕らが心配してる「世界」や「地球」って、実は870万種もいる地球上の生物の中のひとつである人間のことだけだったりするんですよね。

この世界も、地球も、はたまた宇宙さえも、ついぼくらって「人間界」だと思い込んでたりするんです。

「このままだと宇宙はやばい」とか、「地球が泣いている」とか、けっこう見かけるフレーズでもありますが、これって別に宇宙の話でも地球の話でもないんですよね。

そもそも地球も宇宙も常に環境を激変させながら今にありますので、
別に人間が滅ぶような環境変化なんてなんてことはありません。通常運転です。

だから、地球や宇宙に言わせたら「別にこのまんまでも全然大丈夫やで!」ってなもんです。

世界観という幻想

さらに僕らって天国とか地獄なんていう世界観もつくったりしますよねぇ。
現世とは違う世界!みたいなもの。
そんな盛大な世界もまた完全に「人間界の物語」だっていうのもちょっと可愛かったりします。
これも別にそんなものが存在する気でもなく単に人間のために都合よく作られた世界観です。

で、もちろんのことながらそんな「人間界」っていうものは存在してないんです。

僕らは、自分がこの世界の中心みたいに思いがちなんです。むしろそういう見方でしか世界観を作れないんです。
たとえば僕らが虫ケラ扱いしている昆虫たちって、なんと約5億年前から存在してるらしいんです。

それに比べてぼくら人類は、ほんの30万年前にちょこっと現れた新参者、ルーキーでひよっこなんです。
本当は世界や地球の主人公は人間ではなく、そんな昆虫やその他の虫たち、さらに微生物や植物たちであり、もし宇宙生命体が地球を発見しても人間を主役だとはおもわず、単なる端っこにいる脇役にしか見えないかもしれませんねー。

知識は便利だけど、世界の全てじゃない

そして、そんなご都合主義な世界観をつくるベースになっているのが「知識」なんです。

あ!誤解しないでくださいよ。別に知識が悪いわけじゃありません。
それは、全体のほんの一部。ものすごく限定的な情報にすぎないよねという話です。

そしてその限定的な知識を、まるで「世界そのもの」かのように信じてしまう。
これが僕らのクセなんですよね。

僕らって、新しい知識を得ると、ちょっと賢くなった気がしたり、
目新しい考えにふれると、ちょっと成長したような気がするものじゃないですか。

これだって実際には「そういう気がしてるだけ」だったりするんです。

知識ではたどり着けない場所

悟りとか、非二元の話というのはこういう「世界観の幻想」からの目覚めなんです。

でも僕らはついその話すらも「知識」で理解しようとしてしまう。
でも、知識で納得することと、いわゆる目覚めとか解放は別モノなんですよね。

僕らは「知識によって世界を理解しようとする依存症」みたいなものにどっぷりハマってるんです。

この依存に気づいた瞬間が、いわゆる解放の入り口なんです。

 

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