僕が昔好きだったマンガで、稲中卓球部っていうのがありましてね。
この漫画、メッチャ面白くて、読んでて笑ってしまうんですけど、
ある日、電車の中で読んでたら、思いっきり吹き出しそうになりましてね。
もう、体を震わせながら耐え忍んでいたんですけど、ふと前を見るとね。
向かいの席に、同じように、ビクンビクンッってなってる兄ちゃんがいたんですよね。
で、手元を見ると発売されたばかりの同じ単行本を持ってるのを発見したんですよ。
うららかな昼下がり、少し空いた電車の中で体をよじらすみずしらずのオトコがふたり・・・。
みたいなね。
その場面のおかしさも加算されて、背筋がクォッ!ってなったのを思い出します。
この漫画は、中学生の卓球部の話なんですけどね、
ちょっと記憶があいまいなんですが、この漫画の一場面で
ダメだ!
俺たち汚れてしまった!赤ん坊の頃の純真さを取り戻すんだ!
みたいな話の流れになりまして、みんなオムツ履いて赤ん坊の真似事を始めるんですけど、
最初はバブーバブーってノリノリなんですが、やってるうちに便意をもよおしてきて、
いかん、ここで赤ん坊になりきるんだ!みたいな感じでちゃんとやりきりまして、
周りの生徒が、
うおー!まじで漏らしやがった!!!
とかね。
大騒ぎしてた場面があったんですよ。
ちょっと話の内容が違うかもしれませんけど、、、。
でね。
今日はこの純真さについて書いて見たいと思います。
あるがままっていうのは、自然な純真さでございます。
そして、それですでに完璧なんです。
もうすでに完璧ですのでね。手を加えられることもないわけで、
もうその完璧さが全てであり、全てであるからこそ、
それ以外に何もないわけです。
そんな中で、このあるがままがイヤや〜!ってなると、
変えようがないあるがままに蓋をして見たり見ないふりをしてみたりと、
抵抗するわけですけど、もうすでにあるがままですので、
その抵抗は、当然うまくいかないんですよね。
そして、うまくいかないから苦が生じるんですねん。
そして、すでにあるがままが純真さであり、真理なわけですけど、
よくある誤解として、
純真さとか真理って、とってもキラキラしてて素敵なものだ!
みたいなイメージがあったりするんですよねー。
でも、それって誤解なんです。
まるで、アイドルはウ○コしません!みたいな誤解です。
赤ちゃんってもう文句なく純粋やないですか。
それでいて、常にニコニコ笑ってるわけやなく、
電車でも泣きわめきますし、
人の世話になりまくるわけです。
それが、あるがままで純真さなんです。
別に赤ちゃんに限らず、
時に泣きたくなったり、グズったりするのは、
大人だって一緒です。
不安があったり不満があったりするのも全然良いわけです。
それらを解消しても良いし、味わっても良いわけです。
大人になって、子供の頃の純真さを失ってしもうた〜。
ってね。
思ってはる方もおられるかもしれませんけど、
全然そんなことありません。
一個も失ってません。
ただ、付け加えてるんです。
付け加えることが多すぎると、自分で付け加えたおままごとのルールのようなもののために、身動きが取りづらくなっておるわけです。
なんで、どんどん付け加えてしまうんでしょうねぇ。
多分、その理由があるがままでは都合が悪いと思い込んでる思い込みがあるんでしょうねー。
赤ん坊の頃のように人に頼りっぱなしじゃいかん!
みたいな思い込みがね。
でも、その赤ちゃんは、ただ存在しているだけで周りをとっても幸せにしてたんだよねー。
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