Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【悟りと目覚め】虚無とコレのおはなし

f:id:takuteto:20220131194141j:plain

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

まあ、僕らってね。
どこまで行っても「コレ」しかないわけです。

僕らの本質もまた、「コレ」そのものです。

なんじゃい「コレ」って!
って思っちゃいますよね。

「コレ」とは名もないもの。
つまり、なんでも無いものです。

赤ん坊の頃からあったもの。
それが、「コレ」なんです。

思考ちゃんからみると、
そんななんでも無いものは、
まさに虚無のように見えるかもしれません。

だから、思考ちゃんはあらゆるものを、思考の概念でコーティングして、
いい感じの世界を作り上げようとしているわけです。

この世界づくりには言葉が必要不可欠になってきます。
なぜなら、この概念は言葉によってラベリングされたものの寄せ集めですからね。
そして、言葉には必ず意味が必要になってくるわけです。

また、この意味には、比較の概念がくっついてきます。
そして、この比較の概念の裏には、
良いと悪い。
優劣。
表裏。

といったものがあるというわけなんですね〜。
いや、無いんですよ。実際は。
でもさも有るかのように作られるんですよ。
思考の中でね。

 

至福

ま、そんなわけで、思考ちゃんは世界観というコーティングをしていくわけですが、
その裏にある比較の概念も手伝って、より良い世界を作り上げようとしていくわけです。
ちなみに、何をもって良いとするかの基準は特にありません。

でも、どんな基準であれ、より良くしていこうとするわけです。
良いの基準はありませんよ。とある基準では良いでも他の人の基準ではそれは悪いになる場合もよくあります。
ただ共通しているのは、より良くしていくことで、自身を守ろうとするわけですね。

そしていつしか「コレ」もまた、より良い世界を作り上げるステキなパーツであるかのように錯覚しちゃうんです。

だって、至福とか言われちゃってるわけですからね。
もうキラキラですよ。

だから、思考ちゃんは至福というのはもうキラキラもんだと信じて疑ってないんです。
でね、
すでにここに在るものはスルーして、どこかにある何かを探求するんです。

虚無と「コレ」

ただ、「コレ」とは何でも無いものです。
ここで言う何でも無いというのは、どういうことかというと、
思考ちゃんの判断を通らないものだということですね。
つまりは、思考でコーティングされた世界観には属さないということです。

でもそういうものというのは、思考ちゃんからみると、
無なんです。

思考ちゃんからすると、思考のない世界なんて無そのものなんですよねー。

そんなものは、思考ちゃんからすると虚無なんですよ。

だからどうしてもこの虚無を思考ちゃんは受け入れることが出来ないんですね。

でもこの虚無ってね。
思考ちゃんの誤解なんですよね。

虚しさというものは、思考の判断を通さないと生まれでないものなんです。

思考のストーリーに侵されていない赤ちゃんが、
「はぁ〜。なんだか生きてて虚しいわ・・・」
なんてならないですからね。

ネコもカメも金魚も、
「あー、なんだか、最近虚しいわ、、、、」
ってなりません。

虚しさというのは、思考によって作られる演出なんです。

虚無というものは実在はしないんです。
思考の中で作られる演出なんです。

だから、思考のないそのまんまの「コレ」は虚無とはぜんぜん違うんです。

ただ、思考ちゃんからみると、虚無にしか見えないってことなんです。

ま、そういうすれ違いみたいなものがあるんですよね〜。
だから、思考ちゃんは探求をやめることは虚無と感じるので、探求をやめたがらないんです。

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!