手放す。というのも、
受け入れる。というのも、
おんなじことなんですよー。
なんてね。
たまに書いてたりするわけなんですけど、
一見、真逆に見えるこの二つがなんで一緒なん?
って思ったりするかもしれません。
でも、おんなじことなんですよねー。
ただ、使う場面が違うだけなんです。
例えば、
手放したくない思いをグッと握りしめているのであれば、
その手をちょっと開いてごらんなさいませ。
手放してごらんなさい。
となりますし、
絶対に嫌だ!って頑なに目をそらしているのであれば、
落ち着いて対峙してごらんなさいませ。
受け入れてごらんなさい。
ということでございます。
実は手放せない!と握りしめてるのも、
嫌だ!目をそらしているのも同じことなんですよね。
何かを受け入れられてないのと同時に手放せなてないわけです。
手放せてないから受け入れられないわけでして、
受け入れられないから、手放せない。
ということなんですよね。
なので、手放すも受け入れるも同じなんです。
どっちから入っても一緒でして、
その奥には、自分という観念と、それを失う恐怖があったりするんですよねん。
いずれにしても、一旦自然な状態に立ち戻ってみましょうよ。
そしたら、妙な誤解や勘違いをしていたことに気づくかもしれませんよ?
という話なんです。
自然な状態というのは、どんな意見にも染まっていないということです。
大多数の人がそうだからこうであるべき。といったことでもありません。
偉いブッダと言われる人が言った話だからってのも関係ありません。
一切の意見にも考えにも影響されていない、元々の「それ」です。
ま、自分という観念も、自然ではない付け加えられたものですので、
自然な状態に立ち戻る。
という言葉も、誰が立ち戻るねん?ってな感じで、変な表現なんですけどね。
実は思いにしがみついている誰かもいなければ、掴みとってる誰かもおらず、
そこに、綿ぼこりが意味なくただ佇んでいる。
というのと同じように
思考がただ、起こっている。
ということなんですけどねー。
ちなみに、自分という観念とそれを失う恐怖なんてもんは克服するもんじゃございません。
このことはしょっちゅう書いてますけど、
よく、打ち消すべしー!ってのを繰り返しちゃったりもしますのでね。
ただ、それがあっていいんだよー。ってね。許し認めてあげることで、置いておいてあげる事が許されるわけです。
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