Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

全ては苦であるからこそ、苦しまなくてもイイ!

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「一切皆苦(いっさいかいく)」
これは仏教で言われているところの、全ては苦しみであるという意味の言葉でございます。

いやー。
暗い。
暗いっすねー。この言葉。
そんなん救いがないやないですかー。ってね。
思ったりもしますけど、
多分、この言葉、字の当て方が間違っとるといいますか、適切じゃないのかも知れません。

そもそも、苦しみっていうのは、思い通りにならないということでございます。

それを「苦」と表現しているわけですので、
全ては思い通りにはならないもんなんですよぉー。
というのが
この
「一切皆苦」の意味なわけです。

色(しき)は苦なり。
受想行識も苦なり。

なんてことも言われております。

だからって、
色は苦だから、空(くう)に入ったらええんやな!
ってことではございません。

色と空は同じものですのでね。

 

意味のない石ころを、
これはただの石ころやー!って名付けて、意味を付与することで、
空(くう)は色(しき)となるわけです。
そしてその石ころはダイヤモンドにはなってくれないわけですね。

これが思い通りにならない苦の正体でございます。

何かを掴み、意味を追い求めること自体が思い通りにならないそもそもの原因となっておるわけでございます。

さてさて、
だからこそ、
「全ては苦であるがゆえに、苦しまなくてもイイ!」


苦しむ必要なんてないんですよねー。

は?
ってなりますかね?

ちょっと話は飛躍しちゃいすぎたかも知れませんね。

どういうことかといいますとね。
ありとあらゆる意味づけされたものが色(しき)というわけじゃないですか。

で、その意味づけが「思い通りにならん」っていう苦を生じさせてるわけですけどね。

じゃあ、この意味づけ、一切無視したったらええねん!ってことなんですよね。


つまり一切の意味付けは無視することが許されている!ということなんです。

ということはですよ。
子供の頃のみずみずしさで、思いつくがまま、ワクワクとイノチの表現を思いっきりやってええねんで!
という、許しなわけです。

苦とは、何かの誤解によって生じたもんだったわけです。

思い通りにならんのだったら、いっその事ならんままに、放ったらかしにしてやってよかったんです。


サボってもいいし、カシコじゃなくてもいいし、
貧乏でもいいし、大人のくせに子供っぽくて良いわけです。

っていうか、
それじゃあかんで!
っていうのがウソやったわけです。

このウソのせいで苦が生じとったわけでしてね。

ウソもホントもないわけですけど、、、その辺はまたおいおい。

ま、この思い通りにしたい!っていうのは、
いきいきと、みずみずしく、子供の頃のように
ワクワクを表現したい!
という、イノチの望みだったわけなんです。
で、それをどこかで、そうは言ってもちゃんとせなあかん。
〜であるべきや!っていう観念が邪魔しとっただけやったんです。
その邪魔のせいで、思い通りにならん!となっとっただけやったんですよね。

色(しき)と空(くう)が全く同じもんやったんやん!
ってね。
それが明らかになるとですね。

あー!みんな許されとったんやん!ってことも明らかになるんです。

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