Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

苦というのはそれそのものとのケンカみたいなもんです。

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苦というのはそれそのものとのケンカみたいなもんです。

退屈だとケンカでもすっか!
てなもんで、色々と頭の中でシミュレーションゲームをしよるわけです。

また、それそのものというのはまさしく自分自身です。

苦というのは、「それそのもの」を受け入れられないか、
もしくは「それそのもの」じゃない別の何かに変えたい!とする思いですのでね。

それそのもの。
つまり自分自身とのケンカなわけです。

 

もし、そのケンカに飽きてきたのなら、
まずは本来の「それそのもの」を思い出してみるっていうのが良いかもしれません。

本来の「それそのもの」
つまり、
本来の自分自身を思い出してみるっていうことですね。

でも、
思い出すって言われたってー。
忘れたつもりもないですのでよくわからんのですが。。。

ってなるかもしれません。

でももし、それそのものとケンカになっているのだとしたら、
本来の自分自身を見失っとるのかもしれないんです。

本来の自分自身の何を見失っとるのん???

と言いますと、
それは、
「自分自身のこの上ない素晴らしさ」のことなんです。

この素晴らしさは無条件の素晴らしさなんですけどね。

この素晴らしさを見失うから、
もしかしたらイケてないんとちゃうやろうか?
変えていかなければいかんのではないだろうか?
っていう誤解が生じとるわけなんですよねー。

問題のように見える様々なことが起こったりもするかもしれませんけど、
まずは、
「自分はこの上なく素晴らしい!」
という原点をしっかりと認識して、
問題の対処はその後たんたんと進めれば良いんですよね。

まずは、自分はこの上なく素晴らしい。
を見失わずにその土台の上で粛々と起こっとることに任せたったらええんです。

そうそう、
起こることに任せる。っていうと、
なんか、何もしない。みたいな印象があるかもしれませんけど、
そういうことじゃありませんでしてね。

ヌッて湧いてくる衝動に任せたら良いんです。

条件付きの衝動じゃなくて
無条件の衝動が起きるなら、

なんかやって見たい〜!っていうことが起こってくるなら、
それをやればええんですね。

湧いてこないんであれば、それは人任せにしても良いことなのかもしれません。

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