Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

幸せってどんな味?

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幸せっていう感じって、満ち足りとるという感じなんじゃないかなーって思うんです。

満ち足りとるということは、足りないが無いってことですね。

この満ち足りた感じをどこかで知っていてそこに戻りたいという思いが、
幸せを求めとるのかもしれませんね。

で、満ち足りるには何かを埋め合わせすれば良いっていう誤解が生まれてしまうわけです。

なので欲しいものや欲しい状態を満たすと幸せになれる!って思うんですよねぇ。
足りないが埋まると満ち足りるはず!
と思うわけです。

欲しいものが手に入った瞬間に味わう幸福感っていうのは、
そのモノから得られてるように見えて、実は「足りない」が無いという感覚から得られとるというわけですね。
モノや、状況が幸せを連れてきてくれるわけじゃ無いんです。

お金という紙切れの中に幸福が詰め込まれてるわけじゃないんですね。
望みのモノの中に幸福が入っとるわけでもないんです。

なので、望みだったものや状況をせっかく手に入れてもすぐに他の足りないモノが見つかったり、
手に入れたものを守り通さなければならん!てな思いがよぎったりしてね。
その幸福感も長続きはしなかったりするんですよねー。

 

つ、ま、り、

この足りないもの探し、
失いたく無いという思い。

これが幸福感をかき消しとるわけでございます。

何かを手に入れた時の幸福感は、足りない思いが消えたから

じゃあ、この足りない探しをやめたらええんか?というわけでもなく、
足りないままで我慢するんやというわけでも無いわけでして。

足りないというウソさが見抜かれるだけなんです。

探すのをやめるっていうのは出来ないんですよねー。
そもそもやったり、やめたりする行為者がいないっていうのもありますし、
足りないというのは自然発生的に出てくるんです。
なぜなら、これは生存本能といった自然現象の表れだからです。
生存本能は常に周りから身体を守ろうとしますのでね。

守るために常にシミュレーションするわけです。

あくまでもシミュレーションですので、想像上の幻想なんですけど
シミュレーション上、足りない!いう思いが出てくるのも致し方ないわけです。

このシミュレーションマシンはそういうことをしよるもんなんやなぁー。
ってね。
単に認めてあげて、好きにシミュレーションさせてあげたら良いんです。

ただ、このシミュレーションには実体はありませんので
必要以上にリアリティーとして受け取ることもないんです。

幸福感をかき消すのは足りないという働きの方にあるのではなく、
その足りないという働きにリアル感を植え付けてしまうクセの方にあったわけです。

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