お早うございます。
タクさんです。
僕らってね、
当然ながら普段は普通に社会生活を送ってるわけじゃないですか。
信号が赤なら止まって、青になったら渡って、
で、
仕事して、お金をもらって、そのお金でもって、
いろいろなもんを払って、
ってね。
で、
当然のことながら、目の前の世界のことはわかってるつもりでおるわけですよね。
でもね、ホントに自分がわかってること、確実にわかってること。
ってあるのか??
ってなことを、いっかい疑ってみたらちょっと面白いかもしれません。
いやね。
よくこのブログでもわかろうとしなくて良くて、
それよりは、わからないままでおることなんです。
みたいなことを書いてたりするわけですが、
ちょっとちがうアプローチで、
わかってることって、ホントのことなの?
って疑って見るんです。
わかってることって、
そう聞いたこと。
もしくは、
そういう風に信じていること。
または、仮定としてそう見なしていること。
だったりしないか?
聞いたからホントだと思ってたり、
単にそう信じているだけだったり、
単純に仮定してるだけ。
だったりしないか?
ってね。
ニャーって鳴いてるあの動物はネコっていうのよー。
っていうのも、
今日は空から水が降ってくる。
これは雨というのよー。
っていうのも、
太陽が登ってくるのが朝で、太陽が沈むと夜になるのよー。
っていうのも、
信号が青になると渡って良くて、赤になると止まるのよー。
っていうのも、
全部、単純にそう聞いただけ、
単にそう仮定してるだけ、
そうだと信じているだけ、
別にそれが間違いとか正しいとかじゃなく、
たんに、そうだと見なしていただけ。
しまいには、自分のことすら、よくわかってない。
自分って何?
日本人っていうくくりもそう聞いただけ、
国境という線もなく、
そう聞いたから、そうなんだと思ってたけど、
あれもこれも、
まさに、おままごとのルールのごとく
そうだと見なされているだけのことで、
じゃあ、本当にわかっていることって何かあるんだろうか?
てね。
もちろん、そういう世界観の中、普通に生活してたらいいんですけど、
いつしか、その世界観のルールのリアリティが、
自分を圧迫するほどに大きくなりすぎてはいないか?
よく、夢、幻想からの目覚めが「それ」です。
って言われてるけど、
「それ」っていう真理が夢の世界の破壊の後にあるとしたら
その夢の世界っていうのは、
今までかってにそう信じてたり、そう仮定してたり、
そう聞いていただけであるこの世界のことなのでは?
なーんてね。
ちょっと、わかっていることを疑ってみたら面白いかもしれません。
わかろうとすること。という執着が、何でもかんでもわかって固定して
自分の中に持っておこう。
ってね。
そういうクセのようなものが、皮肉なことに、
そのまんまを見失わせている。
どんだけわかったことにしても、
いつまでたっても、安心できないところか、
足りないものが増えていく。
これって、もしかしてこのクセが起こしている
ある種のひとり相撲なんじゃないのか?
みたいなことを感じるかもしれません。