Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

信頼したら後はおまかせ

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おはようございます!
タクさんです。

昨日までは5日にわたってややこしい話を書いてみたりしましたが、やっぱり、なにかしらのテーマに沿って、伝えようとすると、どうしてもややこしい表現になっちゃいますねー。

正直なところ、わかろうとせずにわからんままでいたらええっちゅうことですので、
その中で、説明しようとする矛盾にぶち当たるんですよね。

普段は、単に思いつきで書いてる感じですので、いい加減に書いてるんですけどね。

イノチの表現が起きてますねん!
起こってることが起きてますねん!
何かをつかもうとするその動きを見ればいいですねん!

とかいってねー。

でもそんなことばっかり書いてますと、
「どうしても、それがわからんのですわっ!」
「とある覚者はこういうことを言ってましたがどういうことなんですのん?」
「死んだらどうなりますのん?」

みたいなことをね。
コメントでも頂いたり、会ってる人にも聞かれたりしてねー。

うーん。
死んだことないですし、死んだことがある人もいてませんし、
覚者っぽい人はいろんなこと言わはりますし、
そしてそれがウソやとは言いませんし、ホントなんでしょうけど。

結局、物語のようなもんですわー。
その覚者さんがそういった体験をしたのなら、その人にそういった体験が起こっただけですし、その体験を話してはるだけですわー。
ってね、言ってみたり、

全てはイノチの表現であって、身体も起こっては過ぎていく現象の中の一部分ですので、
死ぬとか生きるとかもないので、死にませんよー。

みたいなふうに言ってみたりしてたわけなんですけど、

どうしても、そんなふうに聞いちゃいますと、聞いたほうは、それを一つの判断材料としちゃいますからねー。

単に起こってるだけ〜。
っていう言葉もね、

判断し掴もうという動き、その動きがマインドとして、自我ちゃんとして起こっとるだけなんですよー。
その動きは、リアリティーがあるように見えますけど、それは外に吹く風とおなじように誰かに起こってるわけじゃなく、「単に」起こってるんですー。

っていうのをね、表現してるんですけど、
その表現をも判断して、つかもうとしちゃうと、もう延々とループしちゃいますからねー。

なので、僕のブログの言葉の中はもちろん、誰かの言葉の中に、
答えを求めようとしなくても良いんですよね。

誰かが誰かを悟らせることなんて出来ませんのでね。

自分の外じゃなくて、自分の中で、ファって心が解ける感じ。
掴もうとするエネルギーが弱まる感じ。

そういうのを感じたら、それをただ、何をするでもなくその中に居てみると良いと思うんです。

そのきっかけが何かの言葉から来ることもありますが、それもあなたの中に最初からあった何かと共感されたわけでありまして、
答えは最初からあなたの中にあるんですよね。

で、この言葉の意味はわからんなーって感じたり、
ファって感じとか、
リラックスした感じとか、
そういったことが感じられないものに対しては、わかろうとする必要もなく、スルーしてたら良いんですよねん。

あの覚者さんがいうことやし、わからないけど何かしらの真理があるはず!
ってな感じでわかろうとせんで良いんです。

感じなかったらスルー!でいいんですねー。

以前はスルーしてたもんに対しても、ある日ふとファッと来る場合もありますし、
そういうときは、自然とそういった言葉なり気付きなりが目の前にやってきてくれます。

自動的にね。

なので、信頼してまかせておったら良いんです。

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