僕らはみんなー生きている〜♩。
というわけで、おはようございます。
タクさんです。
僕らって生きていますよねー。
そして、この生こそが、
僕らの現実であり、
僕らの世界なのであります。
この生だけがあり、それ以外には何にもないんですよね。
でも、この生のなかに、
これは自分の生で、あれは、他人の生。
みたいにね、
生そのものを概念の中で分けることで、
なんか、
自分の人生。
みたいな概念が生まれてきちゃったりしてね。
いつしか、生をコントロールするワタシみたいなもんが、
知らんまに、登場してたりするわけです。
このワタシは生をコントロールする支配者ヅラをしておるわけです。
コントロールなんてできないくせにねー。
コントロールできると思ってるから、
あーするべきだー。こーするべきだーとかいった思いも出てくるわけでして、
その思いがあるから、
あーすべきじゃなかったー。
しまったー!失敗したー!!!
みたいなね。
そんな思いもついでに出てくるわけです。
コントロールできるんやったら、問題が現れるはずないのにねぇ。
しまったー!
ダイエット中やというのに、また大福2個もくってもうたー!
ってね。
後悔しちゃったりするわけなんです。
さて、
よくね。
それが訪れる、その時をコントロールする誰かはいません。
つまり、すべきことなんて何にもないんですよね。
なので、ワタシ消えるということも、
そういうことがただ起こっただけで、
そうしようとするために、何かをできるわけでもないんです。
ってね。
言われたりするじゃないですか?
これってね。
その通りなんですけどね。
そんなの聞いたら、
ああ、
じゃあ、私はまだその時じゃないんだ。
だって、まだまだ、私の感覚は色濃くあるし、
まだ幸せなそれそのものに至るには時間が必要なんだー。
みたいにね。
思っちゃうかもしれないんですけどね。
これって、そういうことでもないんですよ。
そういうワタシってのが、ないんですよ。
どこにも。
なんか、特別な人に限って、私が消えるみたいなことが起こって、
全てがその特別な人だけに明らかになる。
みたいなね。
そーんな、大げさなことじゃないんです。
お釈迦さんも、イエスさんも別に特別な凄い人。
ってことじゃないんです。
誰にも、最初っからワタシみたいなもんはないんです。
でね。
そのワタシがいないってのをね。
ワタシ自身が感じることなんて出来るわけもないんですよね。
だから、ワタシに出来ることは何もない。ってゆーてるだけなんですよね。
ワタシやと思ってたのが、それはワタシではなく、ただ起こっていることだったということで、
ただ起こっているというそれそのものしかなかったということであってね。
これって、何かをわかって掴もうとするクセがね。
このクセがワタシみたいなものがあると思ってる遠因になってたりするんですよね。
わかって掴まなきゃならないものなんて、ないんです。
だから、何にも分からなくていいですし、分かることができることなんてないんですよね。
その分からないにダイブするんです。
だってね。
ブルンブルンって、腕を振り回したりすることって、
出来ますよねぇ?
足をドンドンって踏み鳴らしたり出来るでしょ?
この腕が動くとか、
足が動くとか、、、
これってね。
めっちゃ不思議はないですか!
心臓が動いてるなんて、
ありえないくらい不思議すぎるじゃないですか!
これを当たり前ってね、見逃してたりするんですけどね。
ちょ、、、まてよっ!
ってね。
キムタク風に言いたくなるくらい、
この当たり前って不思議すぎるんですよ。
食べ物食べたら、その食べ物が変化して、
エネルギーとかいうものになって、
それが身体を成長させて、
身体を動かす原動力になってますねん。
てね。
そんなアホなことあるかーいっ!
ってね。
ツッコミたくなるくらい説得力のない説明じゃないですか。
なんでイモが手とか足になるねん!
ちゅー話ですよ。
ミキサーでコネコネして、形を作って、
って何やかんやしても、どうやってもこの自由に動く手になるなんてありえないわけです。
このね。
心臓が動いてる不思議さ。
腕が動くありえないくらい不思議さ。
この神秘こそがそれそのものであって、
生そのものな訳です。
そして、全てはこの神秘な生というよく分からないエネルギーに満ちていて、
それ以外にはなーんにもないんですよね。