Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

退屈さと充足感

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自我ちゃんにとって退屈さってのは、どうにもつまらないものなんですよね。
なぜなら、自我ちゃんとは心の動きであって、退屈さってのは心の動きがなくなっていくことだからです。
なので、自我ちゃんからすると、動きがあったほうがいいので、
常に何かしらの目的、目標みたいなものがあったほうが安心できます。
で、そんな目標をドンドン達成し、能力を身につけていって、ドンドン良くなる。
そういうのに、充足感を感じたりするんです。

そんなことに、ある種の興奮を覚えるんですよね。

この興奮が幸せのように思ったりして、次から次へと幸せを得るために、いろいろな望みを叶えていこうとします。

前にも書いたかもですが、願いが叶った時。
そんな時に訪れる幸福感っていうのは、心の重荷が解けた時。
つまり、願う何かがすっと落ちた時だったりするんですよね。

心の重荷が解け、何にもなくなったとき。

心のおしゃべりが止まった時のリラックス。
それが至福なんです。

その至福を味わうために、願いなり目的なりを達成しようとする。
達成できると、そこで、欲しいといった欲求は収まり、その瞬間、心の動きが止まり、リラックスできるので、幸せになるわけです。

でもまた、どうにもならない退屈さが出てきて、新たなゴールを設定するわけです。

まだ、ここがダメだ。
ここが完璧じゃない。

みたいにね。

でも、
このゴール設定は、ドンドンとハードルが上がっていきますので、
いつかはうまくいかなくなります。

ほんの小さな子供の頃は、一人で買い物に行けるだけでもものすごい達成感を味わったりすることができますが、大人な僕たちは、もうそんなことでは達成感なんて味わえなくなってしまっているんです。

仕事でもなんでも、自分よりも良くできる人が、次々と現れてきますし、

ナンバーワンじゃなくてもいい!オンリーワンになるんや!
みたいなことで、
いろんなスキルを幅広く身につけて、これが出来てさらにこれも出来る人は貴重だ!
みたいなところを目指してみたりしてね。

ま、そんなこんなで、ハードルは上がり続ける反面、
歳を重ねると、体力的に出来てきたこともできなくなってくるわけで、
いずれにしても、うまくいかなくなってくるんですよね。

ま、ほとんどの人は、そういうことにもある程度の折り合いをつけつつ、
その中で幸せを見つけたり、励ましたり、励まされたりしながらやっていくわけですが、
どこかで、どうにも満足しきれない。
みたいな思いもあったりして、
そんなこんなで、探求を続けたりする人もいるわけです。

で、気付くんですよね。
どこを探さなくても、
何かを身につけなくても、
最初っから至福はここにあるということをね。

退屈さから何かを得ようとしたり、
退屈さを埋めることで、今を乗り越えようとして見たりしてたけど、
この退屈さがリラックスを見過ごしていただけで、
至福はリラックスの中に最初からあったんです。

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