いやね
ほんとに何もなくてね。
起こってることがただ起こってるだけなんですよね。
けどこういうこと言われたら、なんか煙に巻かれたような気になったりしませんか?
イヤイヤ、もうええって、
それはわかったから、
もうそーいう大義名分はいいから、
具体的にどーすりゃいいんですか?
高い金払ってるんだからいい加減、そんな風に煙にまかずに教えてくださいよっ!
サットサンみたいなもんに参加してたんだとしたら、そんな事も言いたくなるもんです。
そう言えばちょっと話が変わりますが、
僕が最初の一瞥体験をした時も、
いい加減どうしたら悟れるのか?
具体的に教えてくれよ!もうしょうもないタテマエとか要らないから!
と、心底思ってたときに、はたと気づいたんです。
この思いこそが自我である限りは、もう自分がどんなに努力しようが、どんな人の話を聞こうが、いくら金を積もうが、
もう絶対に自分がわかる事はあり得ないんだ!
という気づきです。
もうこれは、しまったー!
どころじゃない絶望なんです。
ホーントに、何もする事は出来ない。
準備ですらやる事はないんです。
ホント最悪です。
今まで結構な金と時間を使ってきたのに。
全てをこの悟りにかけるつもりだったのに。
あーーー。もう完全に無駄でしか無かったんやー。
という絶望でした。
え、えっとね、
実はね、、、
その時、ちょっと、、、
泣きました。
テヘッ。
まー、そりゃー泣くでしょーよ!
ひどいじゃないですか!
こんなに頑張って高い金出してサットサンとか参加したりしてたのに、
絶対に自分はそれを得る事は出来ないなんて!
ショックどころじゃないですよね。
僕もね、そういうサットサンみたいなもんに結構参加してたりしたんですよね。
何十万とかのお金払ってね。
何泊か泊まりで瞑想したりするんです。
高い金額だからもう気合いはいりまくりですよ。
もう絶対に人生変えてやる!
これが終わった帰り道は、もう違う自分になっとるんや!
とね、
大きな大きな夢と期待を持って臨むんです。
背水の陣のような気持ちでね。
で、結局そのサットサンの間だけは、解放的な気分で過ごせます。
そして、帰る時にはもうこの解放感を持ち帰ることができるんだという淡い期待を抱きます。
そして、帰って余韻が冷めた頃、また元に戻るんです。
そう言えば、あーゆう合宿みたいなのって、なんでわざわざ、ど田舎の自然の中とか、ハワイみたいな海外とかでやるんでしょうね。
そりゃー気分が非日常な感じを演出しての事だとは思うんですけど、余計に金がかかるじゃないですかねー。宿泊費とか交通費とか。
自然に包まれた方が気分もいいですし、そういう演出も必要だということなんでしょうけどね。
もうちょっと近場でやってくれればいいのに。。。ってよく思ったものでした。
まー、場所はともかく、そうやって背水の陣でそういったワークに取り組んで、また元に戻って、とね、
こんな思い、もしかしたら、これを読んでる人の中にも心当たりがある人もいるかもしれませんね。
そして、僕自身もそうだったんです。
そして、結局自分自身がそれを得ることができないということに、
やっと気づいたんです。
っていうか無理くり気付かされたっていうかね。
あーーー無駄やったんやーってね。
話ではその悟りたいという欲がそれを邪魔している。みたいなことを聞いていたんですけどね。
でも、やっぱり、それがわかる準備として瞑想とかがあるんだと思ってましたし、
欲が邪魔しているとか言いながら、サットサンとかを開催するんだから、何かあると思うじゃないですか。
無駄だったらしないだろうし、
期待するじゃないですか。
でも、やっぱり、自分が何かを得る事ってのは無いんですね。
ここは徹底的にあきらめなきゃならなくて、それを突きつけられるんです。
えーっと、僕はここで言いたいのは、高い金取るのはけしからんという話では無いんです。
ただ、それに参加するというのであれば、一度自分の中に大きな期待が無いか?確認してみたらいいと思います。
その期待が自我ちゃんです。そして、その期待は裏切られます。
もちろん、その会は素晴らしい時間と経験を得られるかもしれません。
でも、それらも体験に過ぎないんです。
そして、その期待の全てが裏切られた時、諦めた時。
「それ」が残ります。
僕の場合はそんな感じでした。
ただ、そこでまたその一瞥体験を自我のまな板の上に持ち込んでしまって、
その後、数年はその体験に絡め取られてしまったりしましたけどね。
自我ちゃんは何でもかんでも持ち込みます。
一瞥の体験だって持ち込み、「私はこの体験をしたんだー!」みたいなことを感じたりしますし、また厄介なことに、裏切られたー!みたいな怒りを持ち込んだりします。
そしてまた同一化が起こったりするんですよね。
自我ちゃんの特性としては、
それを消そうとか、どうにかすることはできません。
ですが、気づくと消えてなくなっていくという特性を持ちます。
同一化が起こっていると、そこに居続けることになるんです。