Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

ワンネスとは共感、共感とはおサレに言えば愛。

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最近は「それ」のことって、非二元とかノンデュアリティとか言われてますけど、ちょっと前はワンネスって言われてましたよねー。

ま、ワンネスっていうと、全ては一個。
といった印象を与えますので、一個というよりは、単に分離がないっていう風に言った方がええやろってことなんでしょうけどね。

ま、言い方はどっちでもいいんですけど、
いずれにしても、全部しかないですし、全部だけがあるわけです。

そりゃ、全部なんで、全部以外の何かがあるはずがないっていうのは、当たり前なんですけどね。

 

僕らって分離の概念を通して、目の前の世界を見てるわけですけど、
もうそうやって見た時点で、すでにその世界と共感してるわけなんですよね。

良いことも悪いと思うようなことも、思った時点で共感されてるんです。

なんでもない全ての中で、共感だけが起こってる。

そんな感じに言えるかもしれませんね。

僕があなたを見た時点で、僕の中の僕と僕の中のあなたが共感されてるわけです。

なーんて言ったら、
うわっ!キモっ!チカンやー!
って大騒ぎされるかもしれませんけど。。。

よく目の前の世界はあなたの鏡です。
みたいなね。

鏡の法則って言うんですか?
そういう表現あるやないですか。

それも、よくよく考えたら当たり前の話でしてねー。

あなたが見ている風景は、光の反射信号として、脳内で変換されとるわけですし、
その風景に対して抱く思考や感情も、あなたの中で生み出されておるわけですのでね。

そういえば、僕はアホなんでよくわからなかったんですけど、
脳内で作り出される次元構造と宇宙の次元構造が同じだということが発見された!
みたいなニュースをチラ見したんですけど、
チラ見なんで全然違うのかもしれませんけど、
この宇宙の次元構造というのも、やっぱり脳内で解釈された概念ですのでねぇ。

そりゃ、一緒になるやろって思ったりもしました。

つまり、全世界は自分の内に存在するわけですね。
内が外側で展開されてるように見えとる。
って感じでしょうかねぇ。

ま、結局のところ、内も外もありませんのでね。
単に起こっとる!以上。

ってことになるんですけどね。

でも、おサレな言い方をしたら、
全てとは、分離のないことですので、繋がりなわけです。
そして、一つは全てで、全ては一つですのでね。

ま、この繋がり。なんの条件もない繋がり。
それが、無条件の愛やというわけです。

そして、それだけがあるわけですね。

でもって、その中で分離の観念が起こっていて、
その分離の観念の中で、何かしらの体験があるわけですが、
体験である以上は、その主体と客体が引っ付いたところで起こるわけです。
ここで、良い悪いは別として共感が起こっとるわけですね。

分離の中で生きてるように見えて、すでに共感からは逃れられてなかったんです。

イチゴが気になって、ふと目をやると、イチゴとの共感が起きとるわけです。

分離の中にいるつもりでも、常に共感の中にいたというわけなんです。
そして、共感からは逃れられず、逃れたことなんて無かったんですよねん。

共感とは愛そのものですのでね。

おサレな言い方をすればね。
愛からは逃れたこともなく、離れたこともなかったというわけです。

おサレに言ったらねー。

じゃあ、良いものだけを見てたいやん!
少なくとも、自分が見たいものだけ見てたいやん!

って思うかも知れませんけど、
そうはいってもたまにしか上手くいかないのは、
そこにコントロールする行為者がおらんからなんですよねー。

ホントは何にも起こってない中で、共感が起こる。
そこに個別の意識という概念を後付けで加えた後に、
「わしが見た!」
「わしが育てた!」
と付け加えとるだけですのでねー。

この行為者という幻想が見抜かれると、
鏡というたとえ話も消え去り、
単にあるがあるだけやんってことが明らかになるんです。

その時、その共感に自分という観念も溶けていきます。

残るのは、共感を超えるそれそのもの。
全ての許し。

この辺のことをオサレに言うと、
無条件の愛に自身も溶け去りひとつとなる。
ってことになるんでしょうねぇー。

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