おっはようございます。
タクさんです。
まー、あれですわな。
みんな最初から救われてるんですよね。
っていうかねー。
救われてないことがないんですよ。
へ?
どゆこと?
と言いますとね。
救われてないような出来事と言いますか、
理由と言いますか、、、
それが無いんですよね。
出来事は単に起こってるだけですし、
そのことについて、うわっ!かなんなぁという思いもね。
起こってるのかもしれませんけどね。
でもって、そこに何かしらの重苦しい感覚もあるのかもしれませんし、
この重苦しい感覚は、かなん!という思いが、そのまんまに抵抗してることで生じてるわけですけど、
まあ、何が生じてようが、生じてなかろうが、
ここに在る「それ」は何も変わらず全てとしてありますし、
そこに戻るとか戻らないとか以前に、すでに「それ」ですし、
「それ」からは逃れようが無いわけでしてね。
つまり、自分がいるように感じている間だけ、自分という分離があるように見えてるだけで、
もう「それ」の完全の中で、救われていないかもしれないという抵抗感が蜃気楼のように見えとるだけで、この抵抗感にも、全然実体は無いわけでございます。
結局、完全で全てである「それ」が在るだけ。
というね。
それだけの話やったりするんですよね。
こうやって言葉で書いてると、全く意味不明のことになっちゃいますけど。
でも、この意味不明さを特に解き明かそうとしないでいるとね。
「それ」が明らかになってくるわけです。
解き明かそうという一人相撲が行き場を失った時に、「それ」が残るんですよね。
自分は救われないかもしれませんけど、その自分がいないことが明らかになった時、
救われないとしていた自分という一人相撲が行き場を失い、
救われない何か?は単に設定として作り出されていた蜃気楼に過ぎなかったんやん。
という明らかさが残るというわけです。
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