Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

誰も何もしてませんねん。

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風が吹いてる。
って言うやないですか。
でもね、誰も風っていう人がグワーって走り回っとるんやとは思いませんよねぇ。
風っていう人はおらず、それは現象ですのでね。

石ころがコロコロ転がってるっていうのも、石ちゃんが「行くぜっ!」ってなもんで動いとるわけやありませんよねぇ。これもまた現象として起こっとるわけです。

天気もまた現象ですよねー。
雲が今日こそはこの場所に雨ふらしたるで!見とれよ!
ってゆーてるわけやありませんのでねー。

じゃあ、鳥なんかはどうでしょう?
鳥は現象っていうか意思があるように感じちゃうかもですね。
でも渡り鳥なんかはどうでしょう?

ちょっと寒くなってきたから北のほうに行くか?
って意思でもって行動しとるんでしょうか?
それとも本能?

本能っていうのは生まれつき持って生まれた能力みたいなもんですが、それは現象っぽいですよね。

ネコやサルなら、それは天気のような現象ではなく個別の意識を持ってるように見えるかもしれません。

もちろんのことながら、人の考えや感情は個人の意識がそれを発しているように思えますよねぇ。

でも、もしそうなら悩みなんて起こりようが無いんですよね。
良いことだけ考えてりゃ良いわけですから。
どんな恐怖にも動じたくなけりゃカンタンに動じないように出来るはずです。

久しぶりに、心から感動してみるかー!
なんて思ったならすぐに感動の涙を流せるはずですし、
ちょっと最近センチメンタルが足りてないなぁ。
ちょっとおセンチ入れとくか!
と思ったならすぐにおセンチ気分に浸れるはずなんです。

でもそんなん出来ませんからねー。
おまけに心臓を動かすのも、尿意をもよおすタイミングさえ自分でコントロール出来ません。

あらゆる生物も、そして人も、
思考や感情、
そして自我ちゃんさえもまた、現象として現れとるんですよねん。

 

誰かが何かをしてるわけやなく、現象が起こっとるんです。
その現象の中のひとつに、ワシがおるでっ!って言う個別性があるように振舞ってる観念も起こっとるわけなんです。

あえて現象を、風とか、雨とか、鳥とか、人とか、感情や思考と分けて表現しましたが、これらの区別もありません、それは後付けで思考内で整理整頓しとるだけですのでね。

つまりありとあらゆる現象は、単に「在る」っていうことです。
そしてそれが全てです。

せやからもう、無と有といったような分け方もそこで消滅するんですよねん。

全ての源泉。それはそのまま現象として表現されてます。
現象と源泉は同じもんです。
そして、分離の観念もまた、現象の一部です。
ありとあらゆる現象に価値の差もなく分離も無いんです。

ひとつながりであり、全部であり、全ては密接であり、全てが在り、それでいて同時に何も無いので掴むことすら出来ないんです。

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