Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

無意識だったことを改めて見てみる

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普段、無意識にやっとったこと。感じてたことなんかをね、
ちょっと見てみるんです。

よく、デフォルト(初期設定・標準の状態)が「それ」なんですよー。
とかね、ここでは書いてますけど、

デフォルトが「それ」そのものだということは、
「それ」そのものじゃ無いっていうのは、何かが「それ」を覆い隠してるってことなんですが、

その覆い隠してるのってなんやろう?
って見てみるんですけどね、

覆い隠すって、別に大げさなことじゃなくて、
ここじゃなくで、どこか別のところに意識が向かってる。
って感じなんですよね。

でね。

それがもうクセになって無意識的になってたりするんですよね。

その無意識な部分を見てみるんですけど、
それって、その無意識部分ってどこにあるねーん。
てな感じで、探そうとするんじゃなくて、

むしろ、何しようとしてるんだろう?
どこに行こうとしてるんだろう?
何になろうとしてるんだろう?

てな感じてた見て見たら良いかもしれません。

あくまでもデフォルトでそれそのもの。

最初っからそれそのもの。

ですので、条件反射的に何かをしようとしてたクセの方を見てみるんです。

でね。
見ることによって、そのクセは弱まってくるかもしれませんけど、
そのクセが再び起こらないようにしようともしなくて良いんですよね。

自分を改善し、より良くしようということじゃなくて、
ただ、見るだけなんです。

どうしても、どこかでより良くなろうってクセは根づよく残っちゃうもんなんですが、
それなら、
「うはっ!オラ、より良くなろうとしてる!」

ってね。
見てあげれば良いんですよね。

ずーっと見てみると、なんか
なんも無いなんて、めっちゃ退屈やん!

みたいな思いも出てくるかもしれません。

その退屈さの中に、なんでもない目の前のリアルが見えてくるかもしれません。

この、退屈でなんでも無いもの。
それが、元々のリアルさです。

どーってことなく、そのまんまな訳ですが、

退屈さを何かで埋めようとする荷物や、
なんか対処しておかなきゃならない荷物。

そういった荷物を降ろしてみると、

なんて大きな荷物をもっておったんやろう!

で、どんな荷物を持とうがそのまんまはそのまんまの生なんやーん。
ふはぁー。

てな、「当たり前」を当たり前のこととして、明らかになるんです。

 

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