Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「クサッ!」もっかい嗅いでみよ。「やっぱりクサッ!」←これ

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子供の頃、こういうことしませんでした?

なんか自分の靴下の匂いを嗅いで、

「くっさー!う、、、うわっ!くっさー!」

・・・
もっかいニオッてみたろ。。。

「うわーっ!やっぱりくっさー!」

友達にも嗅がせたろ。。。

「ちょっとコレ匂い嗅いでみ?」

「うわーっ!くっさー!」

ケラケラケラケラ。

「もっかい嗅いでみる?」

「うわーっ!ヤッパリくっさー!!!!」

ケラケラケラケラ。

みたいなの。

いやいや、
匂い嗅がへんかったらええやん!

って言われれば、ま、その通りなんですけどね。
やりますやんねぇ。子供の頃って、

ま、僕は子供の頃に限らず、
今でも、
ちょっと、臭いもの嗅いだら、
「クサッ!!!!」

ちょっと、も一回、、、

「やっぱりクサッ!!!!」

ってやってしまうんですけどね。


と、いうわけで、
おはようございます。

タクさんです。

いやね。
よく、「私が無くなったけど、何にも変わらないんですー」
ってね。
言われてたりしますし、ま、私がなくなろうが、
「それ」がどれであろうが、明らかになろうが、
変わらんのですよね。

だから、別に特別な何かのパワーを得るってわけじゃないんですが、
クセとしてやってた事をわざわざやらなくなる。
ってことはあるかもしれません。

やっても良いし、やらんでも良いんですけど。

このクセっていうのが、
嫌なこととかを何回も何回もイメージに持ってきて、
あー、やっぱり不安だわ〜。
やっぱり心配だわ〜。
って心を痛める行為。
みたいなものですね。

不安とかは、何かしらの解決策がわからないから起こるわけで、
何かをわかろうとしている限りは、
どうしても漠然とした不安って出てきちゃうんですけど、
わかろうとする必要性が無けりゃ、
何度も不安を呼び出して味わうことも無くなってくるんです。

よく、「それ」に気づいたら、
なんか可笑しくて笑っちゃいました。
だって、ひとり相撲だったんですもん。

って感じる方もおられるんですけど、
これって、

「クサッ!」
もっかい、嗅いでみよ、、、
「やっぱりクサッ!」

あー、どうして私はこんな臭い目に合わなきゃならないのか・・・

もっかい、嗅いでみたろ
「あーーー!やっぱりクサイ!」

ってな事をやってた自分が可笑しくなるからなんですよねー。

でも、子供たちが、
「くっさーい!クサッ!」
ケラケラケラ!
って遊んでるのは、それで良いわけでね。

自分がそれをやってても全然良いんですけど、
それが深刻になりすぎてただけなんですよね。

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