Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

意識はどこにあるねん

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意識、意識って言いますけど、
意識ってなんですやろ?
って思いませんか?

意識的とか自意識とか
色々と意識を表す言葉がありますけど
これって言い換えると気づいている気づき。
みたいなもんですよね。

これが意識って言われているわけですね。

で、在るのって、この気づきだけなんですよね。

でもそういわれてもよくわからないかもしれません。

ならば、意識ってどこにあるねん?
ってなことを確かめてみるのって良いと思うんですよ。


どやって確かめるのか?
と言いますとね。

どっちが近いねん?を見てみるといいと思うんですよ

意識って気づきですよね。

例えば、目の前にある石ころ。

これと意識はとっちが近いねん?をみてみるんです。

客観的な視点なんていりませんよ
あくまでもあなた目線で確かめてみるんです。

石ころと気づき、
どっちが近いのか見てみましょう。

あなたの中に初めから石ころがあって、そこに気づきが出てきた?
なーんてことはないですよね。

気づきが石ころに気づいてます
先立つのは気づきですよね。


■■■


では身体はどうでしょう。
僕ら、身体、身体って言っていますけど、
ホントに身体ってあるんでしょうか?

身体のすべてを完全に感じているのではなくて、
身体の部分が反応したときだけ意識しているだけなんじゃないでしょうか?

腹が減った時は、腹が減ったという反応が起こっていて、
小指が痛いときは、そういう反応が起こっていて、

こういった反応をひとくくりにして身体。
みたいな概念でひとくくりにしていますが、

起こってるのは、部分部分の反応だけ。

つまり反応があるときだけ気づいているんですよね。

で、その反応と気づき(=意識)。
これも常にずっと反応があって後から意識がついてくるのではなく、

意識が先立ち、そこに反応があるときだけ、
起こってるんです。

先立つのは意識の方であり、そこに身体の反応が気づかれるんです。

じゃあ思考はどうでしょうね。
意識と思考、どっちが先立つんや?
っていうことなんですが、

ちょっとその前に、
この思考って何でしょうね。

思考、という何かがあるわけじゃなくて、
ホントは記憶をこねくり回してなにかを再構成してるだけじゃないでしょうか。

そのことを思考と呼んでいるだけで。

これらも意識が思考に気づいている時だけ、
思考が起こっているんですよね。

 

じゃ「ワタシ」という概念はどうでしょう?
このワタシってどこに在るんでしょうか?

探してみても「ワタシ」ってみつからないんですよね。

身体とか思考とか、そういった起こったことを
ひとくくりにして、なんか自分に起こっているような感覚。

でも、よくよく観察してみると、起こっているだけであって、どこかにワタシってのは
みつからないんですよね。

なんていうか概念的にそうとらえているだけの話なんですよね。

そういった概念が、意識(気づき)の中で起こっているんです。

 


じゃあ、最後に、この意識(気づき)を見ていきましょう。

起こっていることに気づいている。

この気づきはありますよね。

では、この気づきと起こっている事。
この二つは分かれているんでしょうか?

ただ、概念で分かれているように見えているだけで、
ホントは、気づきと起こっている事って同じものなんじゃないでしょうか??

ここはもう、思考以前の気づきなので思考ではとらえられません。

ただ、起こってるのと、ただ気づいている。

それは、同じもんなんですよね。

なので、分離もないんです。

意識とか気づきとか、
便宜上、そういう風に呼んでいますが、
そう呼ばれている何かってのも無いんですよね。

ただ、在るだけ。

分離されてない存在があるだけ。
「それ」しかないんですよね。

となると、
ぬわー!
マジでなんもないんやんけー
でもって、全てが在るしっ!

ってなるんです。

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