Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

希望って別に、いらなくね?

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希望って言葉には、なんていうか、
絶対善!といいますか、
こいつは絶対に良い奴!
クラスの人気者。
みたいな印象があるので、なんていうか、言いにくいのですが、

希望なんて別にいらんのんちゃうのん?って思うんですよね。

「苦」っていうのは、「現実」と、「こうありたい」「こうあるべき」との差なんだと思うんですよ。
そして、その差が大きかったら大きい分だけ「苦」が増すんですよね。

現状に満足していれば、「苦」は存在しないのは、その差が無いからですね。

希望ってのは、つまり未来への期待という事なんですが、その期待も「現実」と「こうありたい」の差があるからなんですね。

有名で人気の「引き寄せの法則」ってあるじゃないですか。

あれって、ハマればハマるほど、この期待=差が大きくなって「苦」が増すだけなんちゃうんか?
って思ったりもします。

ま、叶ってもかなわんでも別にええけど、こんな感じがええなぁ。
くらいの軽い感じの望みだったり、ただの目的くらいなら全然良いと思うんですけどね。

僕も、希望じゃないかもしれませんが、望みくらいはあります。
なんか、超快適なキャンピングカーで行きたいところいって生活してみたいわぁ。
みたいなのはあこがれます。
※ただし、お湯が出ること、シャワーも完備。室温快適!あとベッドはふかふかであること。が条件になるんですが・・・。

ま、ともかく、この未来への期待というのがないと、いちいち今起こってることに
良いとか悪いとかの判断をする必要もなくなるんですよね。

そうなると、ただ、今、起こってることが全部サプライズ!
みたいになるんです。

正にあるがままって感じなんですけど、
そういうときって、表面的にはイラッとして怒ってても、
おーサプライズゥ~!って楽しんでるというか喜んでる感じがあったりするんですよね。
自分に喜んでる感じがあるのではなく、ただ、全体が喜んでるみたいな。

起こってる。ノリノリで起こってる。みたいな感じですかね。

で、もうそれが、結局望んだ幸せであり安心であり、って感じなんやん。
未来じゃなくて、ここにあるやん。

ってなるんですよね。

良いも悪いも判断しなくていいのは楽ですし、
それでいて好き嫌いは起こるんですけどね。

あー嫌いやーって思いも楽しく起こるわけです。

幸せも楽さも安心も、ここに在るのに、
それを探しに行くことで見失うんですね。
なので、より大きな、より確実っぽい安心さを求め、
それが悟りへの求めへとつながって行くようにも思います。

青い鳥を探そうと右往左往した後に、
青い鳥は最初から自分の家にいたことを知る。
ってことなんですよね。

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