Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

人生のシンプルさを打ち砕く「べき思考」

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夢や希望ってあるじゃないですか。
将来の目標とかね。

そういうのって、全然悪くないですし、
そういうのがあるのなら、それで全然イイんですけど、

そういった夢とか希望っていうのは、
あくまでも頭の中で作り出されたイメージですよねぇ。

それ以上でもそれ以下でもなく。

でも、そのイメージがいつしか「そうあらねばならないもの!」
といった信念のようなものにかわってきたとして、
その信念にたいして、目の前の現実が全然違うということに苦しむのって、
ちょっとしんどいって思うんですよね。

苦しまなくていいことにわざわざ苦しんでるような感じがするじゃないですか。

これって、実は夢や希望と現実の違いに苦しんでいるのか?
なんで苦しいのか?っていうのを見てみたらいいと思うんです。

もしかしたら、希望とか夢と現実の違い以前に、
目の前の現実に対して、これはいかんっ!っていう思いがあって、
その思いの底には、何かしらの信念、「〜であるべき」
ってのがあるのかもしれません。

そういうのを探してみるのっていいと思うんです。

でね、
「べき思考」があって全然イイんですよね。

ほぇー、そういう信念。自分の中の正しさ。
っていうのがあるのんねー。

みたいに知っておくだけでイイんです。

ははーん。
この信念があるから、こういった目的とか夢とかが出て来ていて、
そして、事あるごとに、その希望と現実を比べては落ち込んだりしておったわけなんですな!
って知っておくんです。

よし!
じゃあ、このべき思考を取り除いていくぞっ!
ってやっても、それは新たなべき思考が生まれちゃうんですよね。
べき思考は残しておくべきではない!っていったべき思考ですね。

それじゃあ、いつまでたっても
イタチごっこになっちゃいますのでねー。

なので、
ただ、見て、ただ知っておくだけ。
ってのがミソです。

人生って、勝手に自分で複雑にしていったりしてますが、
本来はもっと淡々としてて、もっとシンプルなんですよね。

単純に起こることが起こってるだけなんです。
起こってすらいないとも言えます。

そうなってくると、人生なんてない。ってことになるんですけど、
もう、なんもないのと同じくらいシンプルなんです。

それにルールが付け加えられれば付け加えられるほど、
なんか複雑になっているように見えていますが、
ルールになにかの拘束力があるわけじゃなく、
実体もないので、
複雑に見えるようで、ホントはめっちゃシンプルなんです。

そんななかで、衝動なりが起きたら、そうすればイイし、
問題があるのであれば、淡々と対応すればイイんですし、
逃げたいなら逃げて、時には立ち向かったりして、
そうやって勝手に起こってきますんで、それに合わせて
ダンス、ダンス、ダンスなんです。

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