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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

カルマと引き寄せの法則

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宗教とかスピリチュアルの世界に「カルマ」という考え方があります。

カルマとは、めっちゃ簡単に言うと、因果応報みたいな考え方で、
善いことをすれば善いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる。
といったような考え方です。
悪しき心が悪しきことを引き寄せる。みたいな考え方でもあります。

なので、宗教なんかにはいろいろな戒律といったものがありますが、主な目的は自分自身の悪しき心を絶つというものが基本的な教えとなっています。
ま、何かの宗教に入信したことは無いのであまり知りませんけど、、、

なので、戒律を守るのは自分のためなんですね。
基本的にはね。

なので、カルマの考え方って、まさに引き寄せの法則そのものなんですよね。

さて、この考えって、ものすごく端的にいっちゃうと、
黒いサングラスかけたら、世界は暗く見えるし、赤いサングラスをかけたら世界は赤く見える。
といったような、至極当たり前のことを言ってるにすぎないんですよね。

現実として起こることというのは、結局は心のフィルターを通して、ただ起こったことに対して判断を下しているということなんです。

その心のフィルター次第で、人は人それぞれの世界の感じ方をしているというわけです。

そして、そのフィルターには良いも悪いもありません。
そのひとつのフィルターに過ぎないわけであって、
そのフィルターを通して、世界を感じているというのは、
そりゃそうやん。という事なんです。

さて、
このカルマという考え方を拡大解釈して、カルマこそが悪しき心であるといった解釈をする場合もあります。

ですが、この心っていうのは、もとを正すと、自分が知らず知らずのうちに作っていた信念のようなものなんですよね。

そして、その信念が現実を作り出すわけです。

この信念ってのは、最初は何かをよりよくしたいという思いから出てきているんです。
そのよりよくしたいという思いってのが、「愛」なんです。
この「愛」という表現は、お花畑っぽくてあまり好きじゃないんですが、ま、他の表現が思い浮かばないので、そういう事にしておきます。

これが信念となり、いつしか体系化されてしまう事によって、自分のこだわりとなり、そのこだわりから、いろいろな思考や感情が生まれ、そのフィルターを通して観る世界を体験しているというわけです。

よりよくなりたいし、世界は平和な方が良いと思いし、みんな幸せならその方が良い。
そんな思いが、
例えば、
宗教や戒律を産み出したとして、それが信念となった時、その宗教を否定する人は平和への脅威になる。
戒律を破るやつは平和への思いに対する冒涜となる。神への冒涜となる。
そして、冒涜者は敵となり、排除しなければならない!
みたいな感じで、飛躍していくわけですね。
それも最初は、よりよくしたいという思いから来ていて、それへの否定は
「自分の愛が否定された」ように感じて傷つくとともに、その自分の愛が崩壊することへの恐れが怒りへと変わっていくんです。

こういった歪みというのは、まさに自分が持っている(と思っている)信念が原因となって歪んでいるわけですので、そのこと自体が、まさにその信念によって現実が引き寄せられてる。
と言えるわけなんです。


あらゆる怒りってのは、そういった自分が持っている信念が原因となっていて、
その怒りの底には、自分が損なわれることに対しての悲しさや恐れが元になっているんです。

別に宗教的な信条にかぎったことではなく、自分を構成している全ての信念も同じ仕組みです。
あなたが大事にしている考えがバカにされたらムカっとするのは、自分の愛が否定された!と感じるからであって、それが損なわれることに対しての恐れがあるからです。

そしていつしか、信念は正義と悪、正しいと誤りと
概念上わけられていきます。
自分の信念は正義、それを脅かす信念は悪。
みたいな感じですね。

信念が新たな信念を生み、そして新たな考えや信念が生まれ、その持っている信念もその時々によって結構変わったりもして、、、と
かなり複雑になっているわけなんです。

そして、その信念にも浅いモノと深いモノがあり、深く根付いてる信念のほうがこだわりが強いんですね。
そしてこだわりが強いほど、それの喪失は恐怖を感じますし、その恐怖を植え付けてくる対象に対しての敵意も大きくなるんです。

なので、スピ系のグループなんかでは、こういった信念はすべてカルマであり、
このカルマを滅却することこそが、悟りへの道であり、解放の道であると考え、
それを滅却しようと頑張ったりすることを目的にしているところなんかも結構あるようです。

ですが、そういった信念は人それぞれ持っているもので、その始まりは「よりよくしたい」という思いから出てきたものなんです。
なので、そんなに忌み嫌うことはないんですよね。
また、そのあらゆる信念の大元にある根っこの信念が、
「自分がいる」という信念なんです。

この「自分」があらゆることを考えたり、取捨選択をしたりしていると思い込んでいるんです。

そして、その自分という信念の上に乗っかっている考えを滅却しようとしたところで、
それは、今までの考え方の自分が、それを滅却すべきと考える自分にとって代わるだけなんです。

物質世界に生きていた自分が、精神世界に目覚めて、精神世界に生きるようになる。
みたいなかんじですかね。

自分という信念の土台に乗っかってる限り、そういった修行をしたところでその先に悟りが訪れる。ということは無いんですよね。

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