
はじめに
どもー!
タクさんです。
まー、僕らって生きてりゃいろんな感情を感じますよね。
ただ、その感情には、「苦しみ」や「喜び」といった対立があったりします。
でもこれって、感情そのものではなくて、感情に何かしらの判断や評価を加えることによって固定化させてたりするんです。
そして、自分自身を縛りつけることで、実際の感情の自然な流れを妨げちゃったりするんです。
本当のところ、感情に良いも悪いもなく、何かしらの評価ってものもそぐわないものなんですよねー。
感情につけられたラベルは事実ではなく、感情は単なる一つの経験みたいなものなんです。よくよく観察してみると、今までは「喜び」だったり「苦しみ」だと思っていた感情は、実はそうではないってことが見えてくるんです。
・感情を無条件で受け入れる
そもそも、感情というのはただ起こっている。ただあるものです。
苦しみが悪くて、喜びが良いというのは単なる思考ちゃんの視点にすぎません。
よくよく、あるがままに観察してみたら、苦しみも喜びも、ただの感覚です。
これは良い感情だからよし!これは悪い感情だから取り除かなければならない。
なんて必要はどこにもないんです。
そもそも、感情に条件なんて存在しないんですよね。
今まで、苦しみだと感じていた感情にしたって、よくよく感じてみると苦しみの中には喜びが潜んでいたり、逆に喜びの中には一抹の不安が潜んでいたりするものです。
コインは表だけで存在することも裏だけで存在することもできないのと似たような感じなんですよねー。
例えば、喜びを感じた時、「この喜びを永遠に感じていたい!」って感じたりするものなんですが、この奥にはこの喜びを失う不安が潜んでいたりしますし、
苦しみを感じている中にも、その苦しみの中には、何かしらの希望や愛が潜んでいたりするんです。
何かしらの希望や愛があるからこそ苦しみが成り立っているとも言えますからねー。
・感情へのラベル貼り
僕らってあらゆるものにラベルを貼りますよね。雲を見たら「雲」というラベルを貼りますし、山を見たら「山」というラベルを貼ります。
ま、こういった感じなら、ただの便宜上のことなので良いんですが、そこに「良い」とか「悪い」といったようなラベルが貼られると、途端に目の前の世界を歪めて捉えてしまうんです。
これは感情に対しても同様で、感情を「良い」「悪い」といったラベルで捉えると、感情を歪めて捉えてしまい、執着や拒絶を生む原因となったりするんです。
ま、ラベル貼りはクセとなってしまっているので、ついつい貼っちゃったりはしちゃうものですが、そんなラベルについてはあまり気にすることはありません。
そして、ただその感情が存在する。
ただ在るということを見てみれば良いんです。
怒りが湧いたなら、ただ「感情(と呼ぶもの)がここにある」それで以上なんです。
ラベルへのこだわりが妙な執着になっちゃうんです。
感情そのものを素直に感じる。追い出そうとせずいさせておいてあげる。
変な話、それが感情に振り回されることから、感情を超越する第一歩となってくれるんです。
あらゆることは常に移り変わり変化しています。
感情にしたってそうです。
この世に固定的に存在しているものなんてないんです。
その流れを観察してみれば良いんです。
感情の波は来ては去っていきます。
固定的に存在しているという錯覚が、苦しみがずっと続くという錯覚を生み出しているんです。
苦しみは長続きすることもなく、喜びが永遠に続くわけでもないというのがホントのところなんです。
感情もありとあらゆるものも、浮かんでは消えていく。
このことを受け入れることで、僕らは感情の振り回しから解放されるんです。
・私は感情であるという錯覚
ぼくらってついつい「私は感情である」という錯覚を持っちゃってますが、実際のところは単に「感情を感じている」だけにすぎません。
感情は自分の一部でもないんです。
自分の中に感情があるという錯覚によって、僕らはその感情に支配されてしまうんです。
また、苦しみと喜びは対立して存在しているわけではなく、共存し得るものです。
人生の中で起こる苦しみは純粋な喜びを味わうきっかけになってくれます。
苦しみがあるから喜びがあるわけですからね。この辺を対立軸で捉えちゃってること自体が錯覚を生じさせているんです。
感情は「良い」や「悪い」といったものじゃないんです。
ただそれが「あるがまま」に起こってることなんです。そしてそれは流動的なんです。
この辺りが徐々に見えてくることによって、きっと本質にある「楽さ」が現れてきてくれるかもしれませんよーん。