Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

本当はカワイイ自我ちゃんエゴちゃん

はじめに

どもー!
タクさんです。

公園なんかを散歩中、鳥たちのさえずりが聞こえてくるとなんとも気分がいいものですよね。
鳥は鳴いているのにも関わらず静けさすら感じます。ですが、この鳥の鳴き声も全てに意味があって、鳥たちはきっと喧騒の中ではしゃいでいるのかもしれませんね。

「あっちにエサがあるぞー!」
「おい!なんか危ない人間が近づいてるぞ!」
「おーい!彼女ー!デートしようよー!」

みたいなことを各々が必死に訴えあっていたりするんでしょうね。

ですが、そんな鳴き声の意味もわからない僕たちは、ただ音を音として聞いているわけです。
すると、音は鳴れども静かなものです。

この感覚はねぇ。
昔フランスに旅行に行った時も感じたんですよね。

英語なら多少は意味もわかりますし、看板の文字も何が書いてあるのか多少はわかるじゃないですか。
でも、僕はフランス語はさっぱりですのでね。
看板に何が書いてあったとしても、それはただのインクの落書きみたいなものですし、街で聞こえる話し声も意味がわからないので、まるで小鳥の鳴き声のようなものでしてね。

西欧風の建物を眺めながら、心の静けさをかんじて気持ちがいいものでした。

心の喧騒というのは、音にあるんじゃなくてやっぱり思考にあるのかもしれませんね。

本来の僕らはずっと静寂にデーンと控えていて、なんの影響も受けずただイノチのエネルギーを表現しているだけなんです。
ですので静寂にただ在る時は、なんともいえない心地よさを感じるんだと思います。

心模様がどんなものであっても別に焦ることはないんです。
本来のあなた自身はなんの影響も受けていません。

ただ、思考や心模様がそれに気づくのを邪魔しているだけなんですねー。

本当はカワイイ自我ちゃんエゴちゃん

自我やエゴと言われるもの。
これもまた思考のです。

そして、思考は鳥のさえずりのように歌っているだけなんです。
これを黙らせなきゃならないわけでもなく黙ることもありません。

ですので、思考を消し去ろうと頑張らなくてもいいんです。

となると、自我の消失って起こらないの??
って思う方もおられるかもしれません。

エゴを手放すことで自我が消失し、本来の自分を悟る。
っていうね。
そんなストーリーを思い描いておられる方もいるかもしれません。

でもそんなことはないんですよねー。
言葉一つ喋るだけでも思考は働きますからね。
それを一切消し去ろうだなんて無理ゲーなんです。
お釈迦さんだってちゃんとしゃべってますからね。

これは自我や思考を消え去るということではなく、自我や思考への執着が消えるって感じなんです。

「ええやん!思考がなに言ってようと。可愛いやん!」
ってことなんです。

気づき

そもそも僕らの本質は思考の影響を受けていませんからねー。
それに気づくだけってことなんですけどね。

ただ、気づくのを邪魔しているのが思考への執着なんです。

だから、今だけちょいと我慢して思考を置いておいてみればいいんです。
何を言っていてもおいておくんです。

するとねぇ。
意外とあっさり置いておけるんですよね。

するともうココに自我もエゴも存在してないんです。

テレビを消したら、テレビの中にいた人たちも消えるって感じです。
そもそも、テレビの中に誰かがいたわけじゃないっていうね。
そんな当たり前のことに気づくんです。

 

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