Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あなたは身体と心に宿っているエネルギーそのものである

はじめに

はいどうもー!
タクさんです。

このブログを読んでいただいてありがとうございます!

さて、自分の才能って意外と自分では気づいていない。なんてことが結構言われてたりしますよね。
たしかに自分にとって当たり前にできていることって普通だと感じたりしますからねー。

それはできない人にとってはスゴイ!ってことでも、自分は普通だと感じていたなら気づかないのもわかります。

また、それはスゴイよ!って言われてもあまりピンと来なかったりしますので、
けっこうみなさんも自分では気づかない才能を持ってるんだろうなーって感じます。

あなたの当たり前。それはもしかしたら才能なのかもしれない!
ってねー。

みなさんはどのような才能をお持ちなのでしょうか?

そもそも思考はあてにならない

さてさて、この自分では当たり前だと思っていることが他人から見たらスゴイことかもしれないっていうのはね。

言い換えれば、自分の思っていることってあくまでも主観になってしまいますので、あてにならないってことでもあります。

また、あなたの友人や家族からみたあなた自身。
これって、あなたが思っているあなた自身とは全然違うんだろうなーってのは想像に難くないと思います。

親から見た自分と、自分自身が思っている自分って全然違いますもんね。

ということは、これ、逆も然りでして、あなたが思っている他人。
これは、その方が思っている自分自身とはかけ離れているかもしれない。
ということです。

部分部分では一致するところもあるかもしれませんが、まあほとんど違うんでしょうねー。
完全一致とは程遠いと思います。

ですのでね。
そもそも、思考を通してみたものなんてあてにならないんです。

思考を通して見た世界

この世界だってそうです。
僕らは目の前の世界を思考を通してみてますもんねぇ。

ホントは、全てを思考を通してみているわけではなく、単にみたものの上から思考の解釈で覆っているって感じなんですけどね。

そうやって、思考を通してみているわけです。
ということは、これもあてにならないということになります。

ですが、ここでどうしてもジレンマが生じてしまうんです。

それは、「どうしたら正確な世界をみることができるの??」
ってことです。

だって、どのようにみても思考を通してしまうわけですからね。
この思考自体が世界を正確にみることができない限りどうしようもない!ってことになっちゃうんです。

そして、思考を通して見た世界は正確だと感じてしまう。
どう考えたってそう感じる!ってなっちゃうこともまたジレンマですね。

あなたは身体と心に宿っているエネルギーそのもの

その思考は「自分」というものを作り、その自分とそれ以外を分けて判断します。
これもまら思考の幻想性のひとつであり、そうじゃない見方をしようとしてもそれはできないんです。

それでいて、思考は正しいものをみたいし知りたい!という欲求を持っています。
ですので、常により正確であり、より正しいものを探し求めるわけですが、
思考の仕組み自体が、それを邪魔してしまうんです。

そもそも、思考という幻想はあらゆる観念やレッテルによって作られているわけで、この観念やレッテル自体が実体のあるものではないですからね。

その欲求は叶えられることがないんです。

僕らはただみたものを思考の観念で覆い隠しているだけですからね。
思考で見た世界についてはちょっと端に置いておくと、ただ感じているだけという感覚が残ります。

これこそが真実への入り口となるわけです。

僕らは身体でも心でもなく、この身体と心に宿っているエネルギーそのものなんです。
このエネルギーは全てに充満していて分かれてはいません。
この全体が体や心、それだけではなくありとあらゆる全てに宿りイノチを表現しているわけなんです。

 

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