Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

時間が存在しないのは、私が存在しないから??

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はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

なんか、こういうお話でね。
時間というものは存在しません。
なぜなら、それを体験する私が存在していないからです。

みたいなね。
そんな話を聞いたことがある人も多いと思います。

で、きっとここで混乱する人も多いんじゃないかな〜?
って思うんですよね。

だって、
「なぜなら私はいないからです。」
って説明になってないやん!って話ですもんね。

「時間が存在しない」というのもわからないし、
その説明になってる、「なぜなら私が存在しない」という部分もわからないし。
まじで説明する気あんの?
って感じますもん。

そもそも、こちとら、「私はいない」にも同意してないっちゅうねんっ!
って感じですもんね。

こいつは、自分の語彙力のなさを、「私はいない」だとか「これは言葉を超えている」という表現でごまかしているだけなんじゃなかろうか?
と疑っても無理はないと思います。

というわけで、今日は時間は存在しないについて書いてみたいと思います。

 

時間とは何か?

そもそもね。
時間っていうのは何なのか?って言うことなんですけどね。

これ、モノではありませんよね?
だって、時間をください!といったところで、
実際にその時間をもらえるわけじゃありませんからねぇ。

モノではないとしたら時間とは何なんでしょうか?
エネルギー的な何か?なのでしょうか?

よく、時間が止まったらどうなるのか?みたいな表現が漫画や映画なんかに登場することもありますよね。
時間が止まったなら、みんな動かなくなる。みたいなね。
そんな表現を見た方もいるかも知れません。

でもこれもおかしいですよね。
だって、僕らは時間というエネルギーで動いているわけじゃありませんもんねぇ。
電池が切れてきた、、、みたいな感じで、時間が切れてきた、、、。
なんてことにはならんのです。

僕らの体も時間をエネルギーとして動いているわけではありません。

つまり、時間がなくなったところで、僕らは何ら変わることがないんです。

・時間が必要なのはストーリーだけ

時間がなくなったところで僕らには、何ら影響はないわけですが、
それでも時間がないと困りますよね。

待ち合わせもできないし、決まり事も決めることができないですし、
何かを説明することさえ出来ませんもんね。

「昨日、すごいことがあったのよ〜」
なんて話ができるのも、時間が有るからですもんね。

ですがこの「時間が有るから」というところが曲者でしてね。
実は時間が有るからなのではなく、
「時間」という共通概念があるからなんです。

つまり、時間とは概念なんです。

そして、この概念は主に頭の中でストーリーを組み立てる際に使われる概念なんです。

ストーリーには主人公である「私」も必要ですが、
そのストーリーを展開させるには「時間」という概念も必要になってくるんです。

僕らは、このストーリーを現実であると感じているので、
時間や私というものも存在すると感じているというわけなんです。

思考は何かをストーリー化する機能である

ストーリーとは、幻想そのものです。
だって、脳内イメージですからね。

ちなみに幻想だから間違いであり、真実こそ正しいものである。
という考え方自体も、ストーリーの中にだけ有る概念です。

思考は、ストーリーを幻想だと聞くと、途端に不安になり、
「真実を掴まなければっ!」
って思ったりするんですが、思考という機能自体が、ストーリーを作る機能ですからね。
思考とストーリーは切り離せないものです。

それって、風と空気を切り離そうとするようなものですからね。
そして、ストーリー自体が分離の概念で成り立っているものなんです。
この分離の概念を構築するのに必要なパーツとして、時間や「私」があるということなんです。
これらのパーツは全てイメージで構成されたものなんです。

なので、時間っていうのは、僕らの中でだけ、ある「てい」にされているだけで、
実際には存在しないよね。
ってことなんですねー。

これは、鬼ごっこをしてはいるけど、実際に鬼が存在しているということではないよね。
というのと同じようなことなんです。

 

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