Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ただ、思いを観るコツ

f:id:takuteto:20210220034159j:plain

はじめに

はーい。
視力検査の成績はいいけど、
ものすごーく老眼のタクさんです。

いやー。
子供の頃からねー。
視力だけはずっといいんですよ。
両目ともに、2.0とか1.5とかね。

だから、ずっと自分では、目がいい方だと思ってたんですけどね。

でも昔から、近くのものは二重にぼやけて見えてたんですよねー。
ただ、これって、みんなそうだと思っておりました。

だって、視力検査では全く問題がなかったですからねー。

ところが、歳のせいで、近くがものすごく見えにくくなってきたので、
初めて老眼鏡ってものをつけた途端、
今まで見えなかったものがガンガン見えるようになったんですよねー。

えー、近くってこんなによく見えるものなの!って感じでちょっとしたカルチャーショックでした。

まーそれ以来、老眼鏡は手放せなくなっております。

老眼って健康診断ではあまり検査しないですよねー。
なんでだろ??

 

観てみる。ということ

まー、観てみることくらいしかできることってありませんからねー。
ってなことをよく書いているんですが、

「この観るというのがよくわからん!」
「上手くできんっ!」

ってねー。
そう思われる方も多いと思うんですけどね。

これ、
ちょっとややこしいんですが、何かをやることじゃないんですよね。
だから、観ようとするっていうのは、もう何かをやってることになっちゃうので、
これだと、観れないんですよねー。

むしろ、
観ようとしていることを観るって感じですかね。
ややこしいですね。

距離を取る

まー、観るっていうのはねー。
思考と同化するんじゃなくて、その思考ストーリーを観るということですからね。
まずはこの思考と距離を取らなきゃならんのですよ。

対象に目をぴったりつけたところで、何もみえませんよね。
でも離したらみえてきます。

思考も一緒で同化してるとみえないんですねー。

だからね。
観るというのは、思考と距離を置くというのと同じようなことなんです。

老眼のおじさんが、新聞を遠くに離して観るかのようにね。
思考から距離を置いてはじめて、その思考が思考だったことを観れるんですよねー。

ちなみに観るはもう距離を置いたら勝手にみえてくるので、何かをやる必要はありません。

みようとしなくても目を開けてたら勝手に景色がみえる。
ってのと同じようなもんなんですねー。

ツッコミを入れる

でも距離を取ると言われても、どうすればいいのか、、、。
って感じる方もきっと多いと思うんですねー。

そもそも、距離ってなによ。
どこに行っても思考はここで起こるんだから、逃げようがないじゃないかっ!
ってことですもんねー。

これにはね。
思考のストーリーにツッコミを入れる!
というのがコツなんです。

あ、こんな思いが起こってるなー。と感じたら、

「なに、こんなこと考えとんねんっ!」

って突っ込むって感じですかね。

慣れてくると、つっこまなくても大体観れるようになってきますけどね。

だから、慣れてきたなら、
「あ、こういう考えが起こったんだね。」
以上!

って感じでいいと思います。

観るというと、誤解されがちなのは、この思いが出てくる原因はこういうことか?
それともこれか?
と、分析すること。
みたいなねー。
そんな誤解がありますが、分析は必要ありません。

ただ、
「こう思ったんだね!」
以上。

これでいいんです。

分析しようとしたなら、
「分析しようとしてるんだね!」
以上。

でいいんです。

「上手く観れない〜!」
って思ったなら、

「上手く観れないって思ってるんだね!」
以上。

これで、いいんです。

 

▼僕のfacebookページはこちら。よかったら「いいね」してね!
コメントなどでつながりましょ〜!